2011・3・3(木)METライブ・ビューイング
ジョン・アダムズ:「中国のニクソン」
銀座東劇 6時30分
1987年にヒューストンで初演され、話題となっていたジョン・アダムズのオペラ「NIXON IN CHINA(中国のニクソン)」が、METで初めて上演された。今回上映されたのは、今年2月12日午後の公演の模様である。
1972年2月、時の米国大統領ニクソンが電撃的に中国を訪問し世界を驚倒させた出来事をもとにしたオペラだから、私の世代にとっても、まだ記憶は生々しい。
それゆえ、どうしても「実物」と比較してしまうことになるのだが、この上演では登場する歌手たちにもかなり当人とよく似たメイクや演技が付与されているので、興味は倍加する。
ニクソン大統領役のジェイムズ・マッダレーナ、その夫人パット役のジャニス・ケリー、毛沢東役のロバート・ブルーベイカー、周恩来役のラッセル・ブローンら、「顔」はもちろん似ていないけれども、全員が「実物」を連想させる演技を巧みに行なっているのには感心させられる。キッシンジャー役のリチャード・ポール・フィンクと来たら、まさに生き写しである。
最大傑作は、毛沢東夫人の江青を演じた韓国のソプラノ、キャスリーン・キムだ。素顔は可愛い人なのだが、これが眼鏡をかけて表情を硬くし、権勢丸出しの演技で紅い「毛沢東語録」を振りかざし、高いD音を連発する激烈な歌唱で人々を威圧する迫力たるや物凄い。実に巧い。昔TVで見た、あの江青夫人の恐ろしい猛女のイメージが見事に再現されていて、思わず生つばを飲み込むような緊張に誘われてしまった。
このオペラの台本は、アリス・グッドマンによるもの。
第1幕では、北京に着いたニクソン大統領と、毛沢東主席および周恩来首相との会談が行われるが、ここで実務的な話をしようとするニクソンと、専ら哲学的な話ばかりする毛沢東とがさっぱりかみ合わない場面がある(イライラするのはもちろんニクソンの方である)。
幕間のゲストに登場した元駐中のロード米国大使によれば、これは実際にあったことだそうだ。
「キッシンジャー秘録」においても、同様の光景が描かれている。
そう言えば、同年9月、田中角栄首相と大平正芳外相が日中国交正常化のため北京を訪問した際、毛沢東が「(周恩来との)喧嘩はもう済みましたか? 喧嘩をしなくては仲良くなれませんよ」と語ったという記事を読んだことがある――なかなか哲学じみたことを言う政治家だと話題になったものだが・・・・。
なおオペラの物語は、実際の出来事の再現に始まり、それに幻想的な要素が次第に加わり、最後は登場人物たちが過去の苦渋の出来事を回想して懐疑的になって行く、という流れをとる。
毛沢東が革命の維持の困難さを嘆くくだりや、周恩来が「これまでやって来たのはのは一体何だったのだろうか」と独白するあたりなど、一見創作のように感じられるが、これもキッシンジャーの回顧録に彼の観察として記述されている内容とほぼ一致しているのである。突飛なように見えても、意外に掘り下げの深い台本であることが解る。
演出は、初演時と同じピーター・セラーズである。初演の時以降、その後判った新しい情報や最近の中国の情勢などを加味し、多少は手直しした、とインタビューで語っていたが、どの部分をどうしたかについては触れなかった。
しかし、紅衛兵を思わせる若い中国人の服装や、教師が毛沢東個人崇拝思想を子供達に教え込む場面などは、オペラ初演時にも既に盛り込まれていたのではなかろうか。江青が「語録」をかざして周恩来を威嚇する場面についても同様であろう――「周恩来は病になり、死去したからこそ、のちの『4人組』から攻撃を受けずに済んだに違いない。中国ではナンバーツーの地位は、自殺に等しいほどあやふやだったのである」(キッシンジャー)。
第2幕以降には、地主に搾取され虐待される娘や、紅色娘子軍の蜂起などを描くバレエの場面も織り込まれていたが、ここでソロ・バレエを披露したのは、瀬河寛司および山崎晴野という日本人の由。
作曲者ジョン・アダムズは、今回の上演では、自ら指揮も執った。このミニマリズム系の音楽には、快い陶酔に引き込むものがある。しかし音色の変化は多彩だし、登場人物によってそれぞれ歌の個性が精妙に際立たせられているところなど、なかなかのものだ。
それにしてもこの舞台は、昔の中国と米国、現在の中国と米国、そして現在の世界の情勢などについて複雑な思いを呼び起こすものがある。上演を観ている間ずっとそれらが混然として頭の中に交錯し、くらくらするほどの混乱した気持に襲われた。39年前と今と、世界は果たして変わっているのか、いないのか?
演奏時間は正味2時間40分。
1987年にヒューストンで初演され、話題となっていたジョン・アダムズのオペラ「NIXON IN CHINA(中国のニクソン)」が、METで初めて上演された。今回上映されたのは、今年2月12日午後の公演の模様である。
1972年2月、時の米国大統領ニクソンが電撃的に中国を訪問し世界を驚倒させた出来事をもとにしたオペラだから、私の世代にとっても、まだ記憶は生々しい。
それゆえ、どうしても「実物」と比較してしまうことになるのだが、この上演では登場する歌手たちにもかなり当人とよく似たメイクや演技が付与されているので、興味は倍加する。
ニクソン大統領役のジェイムズ・マッダレーナ、その夫人パット役のジャニス・ケリー、毛沢東役のロバート・ブルーベイカー、周恩来役のラッセル・ブローンら、「顔」はもちろん似ていないけれども、全員が「実物」を連想させる演技を巧みに行なっているのには感心させられる。キッシンジャー役のリチャード・ポール・フィンクと来たら、まさに生き写しである。
最大傑作は、毛沢東夫人の江青を演じた韓国のソプラノ、キャスリーン・キムだ。素顔は可愛い人なのだが、これが眼鏡をかけて表情を硬くし、権勢丸出しの演技で紅い「毛沢東語録」を振りかざし、高いD音を連発する激烈な歌唱で人々を威圧する迫力たるや物凄い。実に巧い。昔TVで見た、あの江青夫人の恐ろしい猛女のイメージが見事に再現されていて、思わず生つばを飲み込むような緊張に誘われてしまった。
このオペラの台本は、アリス・グッドマンによるもの。
第1幕では、北京に着いたニクソン大統領と、毛沢東主席および周恩来首相との会談が行われるが、ここで実務的な話をしようとするニクソンと、専ら哲学的な話ばかりする毛沢東とがさっぱりかみ合わない場面がある(イライラするのはもちろんニクソンの方である)。
幕間のゲストに登場した元駐中のロード米国大使によれば、これは実際にあったことだそうだ。
「キッシンジャー秘録」においても、同様の光景が描かれている。
そう言えば、同年9月、田中角栄首相と大平正芳外相が日中国交正常化のため北京を訪問した際、毛沢東が「(周恩来との)喧嘩はもう済みましたか? 喧嘩をしなくては仲良くなれませんよ」と語ったという記事を読んだことがある――なかなか哲学じみたことを言う政治家だと話題になったものだが・・・・。
なおオペラの物語は、実際の出来事の再現に始まり、それに幻想的な要素が次第に加わり、最後は登場人物たちが過去の苦渋の出来事を回想して懐疑的になって行く、という流れをとる。
毛沢東が革命の維持の困難さを嘆くくだりや、周恩来が「これまでやって来たのはのは一体何だったのだろうか」と独白するあたりなど、一見創作のように感じられるが、これもキッシンジャーの回顧録に彼の観察として記述されている内容とほぼ一致しているのである。突飛なように見えても、意外に掘り下げの深い台本であることが解る。
演出は、初演時と同じピーター・セラーズである。初演の時以降、その後判った新しい情報や最近の中国の情勢などを加味し、多少は手直しした、とインタビューで語っていたが、どの部分をどうしたかについては触れなかった。
しかし、紅衛兵を思わせる若い中国人の服装や、教師が毛沢東個人崇拝思想を子供達に教え込む場面などは、オペラ初演時にも既に盛り込まれていたのではなかろうか。江青が「語録」をかざして周恩来を威嚇する場面についても同様であろう――「周恩来は病になり、死去したからこそ、のちの『4人組』から攻撃を受けずに済んだに違いない。中国ではナンバーツーの地位は、自殺に等しいほどあやふやだったのである」(キッシンジャー)。
第2幕以降には、地主に搾取され虐待される娘や、紅色娘子軍の蜂起などを描くバレエの場面も織り込まれていたが、ここでソロ・バレエを披露したのは、瀬河寛司および山崎晴野という日本人の由。
作曲者ジョン・アダムズは、今回の上演では、自ら指揮も執った。このミニマリズム系の音楽には、快い陶酔に引き込むものがある。しかし音色の変化は多彩だし、登場人物によってそれぞれ歌の個性が精妙に際立たせられているところなど、なかなかのものだ。
それにしてもこの舞台は、昔の中国と米国、現在の中国と米国、そして現在の世界の情勢などについて複雑な思いを呼び起こすものがある。上演を観ている間ずっとそれらが混然として頭の中に交錯し、くらくらするほどの混乱した気持に襲われた。39年前と今と、世界は果たして変わっているのか、いないのか?
演奏時間は正味2時間40分。
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