2018・10・5(金)ブルガリア(ソフィア)国立歌劇場「カルメン」
東京文化会館大ホール 6時30分
ギリシャ悲劇のスタイルを応用したビゼーのオペラ「カルメン」というのは、初めて観た。
演出のプラーメン・カルターロフが「カルメンは、古代ギリシャ悲劇の傑作に登場する女性キャラクターとよく似た運命を持っている」と語っている(プログラム冊子掲載)のを知って、なるほどそこから持って来たか、と思い当たった次第である。
もちろん、厳密なギリシャ悲劇の形を採っているわけではなく、それをイメージに取り入れた舞台、というわけだが。
白い仮面をかぶった黒衣の合唱団が舞台後方の階段に半円形に位置し、兵士や女工や群衆の合唱を受け持ち、かつ登場人物たちの動きに対し、身振りで深い関心や怒りや同情を示す。
そして3人の運命の女神━━ここでは男性が演じる軍神のような姿━━は、「神々の黄昏」のノルンよろしく、運命を織り成す「綱」を携え、ホセとカルメンの感情の動きに応じて演技するほか、2人の主たる活動の場である手前の大きな回転舞台を、時には「運命の車輪」として回す役目をも担う。
それ以外の登場人物に関しては━━衣装は、比較的リアルなものだ。
だが演技の面では、写実主義的な部分と象徴的な部分とが交錯するので、劇的な緊迫感などは、さほど生じていない。隊長スニガの演技があまりに静止的なので、ここにドラマの集約点でも秘められているのかとも思ったが、そうでもなかった。
ちょっと捻ったところと言えば、ふつうなら「ハバネラ」の場面でカルメンがホセに興味を示して誘惑するのだが、この演出ではむしろ最初からホセが一方的にカルメンを追いかけ始める、という点などだろう。たしかに彼はミカエラに対し、さほど深い愛情を示してはいなかったようだが━━。
また回転舞台の一角には「ハバネラ」以降、一輪のバラが床に差されたままとなっていて、これがドラマの中心モティーフとなっているようである。カルメンはそのバラをホセに投げないし、ホセも「花の歌」を歌う際にバラを小道具に使ったりはしない。
そのバラが初めて移動するのはラストシーンである。刺されたカルメンは倒れず、そのバラを高く掲げて見つめたまま、回転舞台中央に立ち尽くす。そして暗転、幕切れ。象徴的な光景で、これはすこぶる印象的だ。
キャストは、カルメンがナディア・クラステヴァ、ドン・ホセがコスタディン・アンドレエフ、エスカミッロがヴェセリン・ミハイロフ、ミカエラがツヴェタナ・バンダロフスカ、その他の人々。
歌唱はみんな、まず無難な出来を聴かせていたものの、人によっては少し大雑把なところがある━━特にドン・ホセ役のテナーは、「竜騎兵」や「花の歌」を、もう少し丁寧に歌ってもらいたいものである。他にも、第2幕の五重唱をはじめ、練習なしでやったのではないかと思うようなケースもしばしばあり、コロスとしての合唱団のアンサンブルも、よろしいとは言い難い。
なお、この合唱とソリストを含め、概して声楽があまり客席に響いて来なかったのは、彼らのホームグラウンドの劇場と、この文化会館のキャパシティと舞台構造の違いに慣れなかったためか? 特に第1幕ではそれが気になった。
指揮は、原田慶太楼が受け持った。最近、一部で注目を集め始めた指揮者だけに、ここで彼の指揮を聴けたのは幸いであった。ビゼーのオーケストラ・パートの多彩さを、これだけ随所で浮き彫りにしてくれた演奏は、私は滅多に聴いたことはない。その意味では、ちょっと面白い個性の指揮者であると言えよう。
ただ、彼の持つ音楽のスタイルが、この「カルメン」の音楽に合っているのかどうかは、一概には判断し難い。概して、沸き立つ熱気に乏しいきらいがあるのだ。もっともそれが、この少し冷たい舞台の「カルメン」には合っていたかもしれないのだが。
プログラム冊子掲載の原田慶太楼へのインタヴューによれば、彼はこの上演のためにギローのレシタティーフを削除し、自らセリフを書いたとのこと。
音楽にも多少のカットや異同がある━━もっとも「カルメン」の楽譜の場合には、どれがオリジナルだとかいう議論は至難を極めるが━━たとえば第4幕前の間奏曲には「物売りの合唱」の音楽をオーケストラだけの演奏で使用し、「アラゴネーズ」の方は幕が開いてからのバレエとして使用していた。
第2幕冒頭の「ジプシーの踊り」は、最弱音と極度に遅いテンポで始められたが、これは昔マゼールもやった手法で、「煙草と麻薬の巣窟の如き物憂げで頽廃的な雰囲気を感じさせる」と評されたものだ。ただしマゼールの場合には、クライマックスへの加速とクレッシェンドに、見事な仕掛けがあったのだが、今回の原田の構築では、それがなかなか盛り上げられず、最後のオーケストラの個所だけが突然爆発的になるという手法だったため、熱気が不足し、劇場的効果を発揮できなかった憾みがあるだろう。
全曲最後のオーケストラの最強奏による後奏の上にホセの「カルメン!」という一言を乗せたのは、以前にも誰だったかがやった手法だが、今回は原田の指示だろうか? これは劇的効果を強調するよりもむしろ、ここの音楽が持つ崇高な悲劇性を失わせる結果となり、私は全く賛成できない。
というわけで、いろいろ良し悪しはある。しかし、このユニークな「カルメン」、ちょっと面白かった。東欧の歌劇場も面白いプロダクションをつくるものだ、と認識を新たにした次第である。
ギリシャ悲劇のスタイルを応用したビゼーのオペラ「カルメン」というのは、初めて観た。
演出のプラーメン・カルターロフが「カルメンは、古代ギリシャ悲劇の傑作に登場する女性キャラクターとよく似た運命を持っている」と語っている(プログラム冊子掲載)のを知って、なるほどそこから持って来たか、と思い当たった次第である。
もちろん、厳密なギリシャ悲劇の形を採っているわけではなく、それをイメージに取り入れた舞台、というわけだが。
白い仮面をかぶった黒衣の合唱団が舞台後方の階段に半円形に位置し、兵士や女工や群衆の合唱を受け持ち、かつ登場人物たちの動きに対し、身振りで深い関心や怒りや同情を示す。
そして3人の運命の女神━━ここでは男性が演じる軍神のような姿━━は、「神々の黄昏」のノルンよろしく、運命を織り成す「綱」を携え、ホセとカルメンの感情の動きに応じて演技するほか、2人の主たる活動の場である手前の大きな回転舞台を、時には「運命の車輪」として回す役目をも担う。
それ以外の登場人物に関しては━━衣装は、比較的リアルなものだ。
だが演技の面では、写実主義的な部分と象徴的な部分とが交錯するので、劇的な緊迫感などは、さほど生じていない。隊長スニガの演技があまりに静止的なので、ここにドラマの集約点でも秘められているのかとも思ったが、そうでもなかった。
ちょっと捻ったところと言えば、ふつうなら「ハバネラ」の場面でカルメンがホセに興味を示して誘惑するのだが、この演出ではむしろ最初からホセが一方的にカルメンを追いかけ始める、という点などだろう。たしかに彼はミカエラに対し、さほど深い愛情を示してはいなかったようだが━━。
また回転舞台の一角には「ハバネラ」以降、一輪のバラが床に差されたままとなっていて、これがドラマの中心モティーフとなっているようである。カルメンはそのバラをホセに投げないし、ホセも「花の歌」を歌う際にバラを小道具に使ったりはしない。
そのバラが初めて移動するのはラストシーンである。刺されたカルメンは倒れず、そのバラを高く掲げて見つめたまま、回転舞台中央に立ち尽くす。そして暗転、幕切れ。象徴的な光景で、これはすこぶる印象的だ。
キャストは、カルメンがナディア・クラステヴァ、ドン・ホセがコスタディン・アンドレエフ、エスカミッロがヴェセリン・ミハイロフ、ミカエラがツヴェタナ・バンダロフスカ、その他の人々。
歌唱はみんな、まず無難な出来を聴かせていたものの、人によっては少し大雑把なところがある━━特にドン・ホセ役のテナーは、「竜騎兵」や「花の歌」を、もう少し丁寧に歌ってもらいたいものである。他にも、第2幕の五重唱をはじめ、練習なしでやったのではないかと思うようなケースもしばしばあり、コロスとしての合唱団のアンサンブルも、よろしいとは言い難い。
なお、この合唱とソリストを含め、概して声楽があまり客席に響いて来なかったのは、彼らのホームグラウンドの劇場と、この文化会館のキャパシティと舞台構造の違いに慣れなかったためか? 特に第1幕ではそれが気になった。
指揮は、原田慶太楼が受け持った。最近、一部で注目を集め始めた指揮者だけに、ここで彼の指揮を聴けたのは幸いであった。ビゼーのオーケストラ・パートの多彩さを、これだけ随所で浮き彫りにしてくれた演奏は、私は滅多に聴いたことはない。その意味では、ちょっと面白い個性の指揮者であると言えよう。
ただ、彼の持つ音楽のスタイルが、この「カルメン」の音楽に合っているのかどうかは、一概には判断し難い。概して、沸き立つ熱気に乏しいきらいがあるのだ。もっともそれが、この少し冷たい舞台の「カルメン」には合っていたかもしれないのだが。
プログラム冊子掲載の原田慶太楼へのインタヴューによれば、彼はこの上演のためにギローのレシタティーフを削除し、自らセリフを書いたとのこと。
音楽にも多少のカットや異同がある━━もっとも「カルメン」の楽譜の場合には、どれがオリジナルだとかいう議論は至難を極めるが━━たとえば第4幕前の間奏曲には「物売りの合唱」の音楽をオーケストラだけの演奏で使用し、「アラゴネーズ」の方は幕が開いてからのバレエとして使用していた。
第2幕冒頭の「ジプシーの踊り」は、最弱音と極度に遅いテンポで始められたが、これは昔マゼールもやった手法で、「煙草と麻薬の巣窟の如き物憂げで頽廃的な雰囲気を感じさせる」と評されたものだ。ただしマゼールの場合には、クライマックスへの加速とクレッシェンドに、見事な仕掛けがあったのだが、今回の原田の構築では、それがなかなか盛り上げられず、最後のオーケストラの個所だけが突然爆発的になるという手法だったため、熱気が不足し、劇場的効果を発揮できなかった憾みがあるだろう。
全曲最後のオーケストラの最強奏による後奏の上にホセの「カルメン!」という一言を乗せたのは、以前にも誰だったかがやった手法だが、今回は原田の指示だろうか? これは劇的効果を強調するよりもむしろ、ここの音楽が持つ崇高な悲劇性を失わせる結果となり、私は全く賛成できない。
というわけで、いろいろ良し悪しはある。しかし、このユニークな「カルメン」、ちょっと面白かった。東欧の歌劇場も面白いプロダクションをつくるものだ、と認識を新たにした次第である。