『夢十夜』を写経

 近頃、頭が回らなさすぎて、でも、書きたい感じがするので、書き写しをする。青空文庫から、適当に。詩はほどほどなら全部、小説は冒頭四百字詰め一枚のみ。夏目漱石の『夢十夜』を書き写し始めたら、おもしろくて、第一夜をぜんぶ書いてみた。
 書いていると、自分の癖がわかる。助詞違う。「に」を「で」と書いてしまう。夏目漱石の文章は、書き写しているだけで、とても幸せになる。比較に、太宰治の『ヴィヨンの妻』の冒頭だけを書いてみた。なかなか癖がある。太宰は作品によって苦手だ。
 宮沢賢治の『雨ニモマケズ』は、意外と楽しい。萩原朔太郎は、読んでいるときと、書き写している時の差は、そんなにない。

 絵を描く練習は、最初は真似だとか、たくさん書くことだと言うけれど、文章もそうなのだろうか。しかし文章の真似をするのはとてもむつかしい。『カフカ』の冒頭を、いろんな小説家風に書くという2ちゃんの伝説的板があるけれど、ああいうのが、とてもじゃないができない。それだけ読んでいる量も、書いている量も、少ないってだけだろうか。

 書き写していて気づいたのは、自分は、小説を読むとき、文章から情景を描いていて、情景で記憶してしまうから、文章をあまりおぼえていないということだ。漫画脳なのかもしれない。しかし、書き写すと、さすがに、言葉寄りになる。エッセイの場合は、言葉や文章で記憶できるけど、小説は描写から情景が描きやすいほど、実際の言葉をおぼえていない。