2人の日本人が過激派組織「イスラム国」に拘束された事件は、この原稿を書いている時点(2015年1月29日午後6時)で、いまだに解決への糸口を模索する状況にとどまっている。
人命のかかった緊急事態に、素人が余計な口出しをすべきではないと思って発言を控えていたのだが、よくよく考えてみれば、私がこれから書くことは、事件の帰趨や解決に向けた交渉とはほとんど無関係だ。
とすれば、事態が動いている間に書き残しておいた方が良い。そう思って、いま現在アタマの中にあることを吐き出してみることにする。
まず、前提に属するお話について書いておく。
そもそも「テロに屈しない」態度と「人命を第一に考える」方針は両立しない。
「テロに屈しない」ためには、「テロリストとの交渉に応じない」ことが条件になる。
もう少し踏み込んだ言い方をするなら「テロに屈しない態度」とは、具体的には
「要求は無視する。人質の生命は好きにしてくれ。その代わりに、この先、われわれは君たちを罰するためにあらゆる手段を尽くすだろう」
という最後通告を含意している。
一方、「人命尊重」の第一歩はテロリストとの交渉に応じるところからはじまる。
交渉の進め方次第では、敵方の要求をこちらが呑みやすい条件に軟化させることができるかもしれないし、うまくすれば人質を無事に奪還できるかもしれない。
が、交渉の経過がどんなふうに転ぶのであれ、最初の時点でテロリストの要求に耳を傾けなければならないこと自体は変わらない。
つまり、整理すれば、「テロに屈しない」ためには、人命が犠牲になる展開を覚悟せねばならず、「人命を尊重」するためには、ある部分でテロに屈する必要があるわけで、つまるところ、政府が掲げているこの2つの方針は、はじめから、相容れない矛盾をはらんでいるということだ。
サッカーの世界では、「リスクを恐れない攻撃サッカー」と、「無失点を貫く堅守のサッカー」を同時に掲げる監督は信用されない。むしろ、いい笑い者になる。当然だ。泳ぐためには水に濡れる覚悟が不可欠だし、水に入ることを拒む人間は泳ぎはじめることができない。向こう岸まで泳ぎ切ることと水に濡れないことを確約する者がいたのだとすれば、その人間は嘘つきだ。
安倍晋三首相ならびに外務省は、人質の救命を最優先に行動することと、テロに屈しない旨を同時に表明し、それらの言明を何度も繰り返している。
「2つの言葉のうちのどちらかはウソじゃないか」
とか、そういうことを言って安倍さんを困らせるために私はこの原稿を書いているのではない。
外交交渉は、常に矛盾をはらんでいるものだ。政治もまた然りだ。
緊急事態で指揮を執る人間は、時には2つの相互に相容れない方針を掲げなければならない。内心にどんな戦略を畳んでいるのであれ、国民の生命と国家の尊厳をあずかるリーダーは、内心を真正直に語ってはいけないことになっている。だから、私は、安倍首相ならびに今回の事態の収拾に携わっている人々が、「建て前論」を繰り返していることそのものを批判しようとは思っていない。彼らはやるべきことをやっている。
テロリストという常識外の敵の相手をするためには、対応する側の人間も、交渉相手にふさわしいマナーを身につける必要がある。と、その交渉は、どこまでも冷徹になり、時には極めて残酷な性質を帯びる。
だからこそ、事態が一段落するまで、外野の人間は、政府のやっていることに余計な口出しをするべきではない。
というよりも、口出しをするも何も、当事者でないわれわれは事態を把握していない。
もしかしたら、一生涯把握できないかもしれない。
事態は、秘密と謀略の中で進行している。ということはつまり、外部の人間には、大切なことは何もわからないということだ。
交渉が適切であったのかどうかは、状況が落ち着いた後に、すべての情報を総合的にチェックした上でないと判断できない。
少なくとも、事態が動いている間は、外野の人間は、論評を控えるべきだ。
もっとも、「外野は口を出すな」といういま私が言っているお話は、「国民は政府の方針を一丸となって応援すべきだ」というのとは少し違う。
当面、この事件について、誰が何を言い、どんな立場の人間がどんなコメントを残したのかを記憶しておくことが、私たち一般人のとるべき態度だと思う。
事件への対応についての評価は、結果が定まってから、あらためて蒸し返せば良い。
で、冷凍された事態の評価を蒸し返す時、ついでに、事件が進行していた間に出されたコメントもあわせて読み返すのが良いだろう。
ひとつ心配なのは、政府の対応への評価とは別に、世論そのものが微妙に硬化していることだ。
ネットの中にぶちまけられる言説が世論のすべてでないことはわかっている。だが、それにしても、事件勃発以来、SNSや掲示板に書き込まれる声は、日を追って「非情」な方向に傾いている。
平均的な日本人の思考を戦時モードのそれに変貌させることが、テロリストの狙いであることを思えば、この展開は彼らの思う壺だ。
テロリストは、平和な世界で暮らす人間の心を、自分たち、すなわち戦場の中で生きている人間の心にシンクロさせることを狙っている。
もちろん、当面の彼らの目的は、身代金を獲得し仲間を釈放させることだ。
が、より奥深いところで、テロリストは、彼らの外部にある豊かな世界が、彼らが住んでいるのと同じ恐怖と暴力の世界に変貌することを望んでいるはずなのだ。
「ゴルゴ13」のようなハードボイルドな物語の中では、どんな場合でも、常に、より「冷徹」な人間が勝利をおさめることになっている。
冷徹で、冷酷で、冷静で、断固としていて、決然としていて、狡猾で、残酷で、無表情で、目的のためには手段を選ばず手段のためには生命を惜しまない、非情で非人間的で正確無比なプロと、臆病で、決断力に欠けていて、甘ったれで、生ぬるくて、涙もろくて、情にとらわれやすい、お花畑の人間が戦うケースでは、必ずや前者が勝利する前提でプロットが組まれている。
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