百年文庫(39)
第39巻は「幻」(川端康成「白い満月」 ヴァージニア・ウルフ・西崎憲訳「壁の染み」 尾崎翠「途上にて」)
<「どうせ私なんかどうなったっていいんです」「死んだっていい人間は沢山あると想います」。温泉場の別荘に雇われた「お夏」の率直な言葉に療養中の孤独な「私」は心動かされる。死を予感する者との不思議な結縁を描いた「白い満月」。ふと顔をあげると壁に見慣れぬ染みが。ささいな視覚の刺激が解き放つ想像力の奔流を描いた「壁の染み」。夜の散歩者が幻のような物語を回想する「途上にて」。詩的な直感に充ちた幻視的世界。>
「白い満月」は、「私」と父親の違う妹二人の間での葛藤と、手伝いに雇った「夏」と「私」の心の交流を描いた作品。父親の死を予感し、さらに自分の死も予感する「夏」と「私」のラストのやりとりが、どうしようもなく哀しい。
<――お夏は固くうつむいていた。突然私はこの自分の滅亡を予見したと信じている存在に痛ましい愛着を感じた。このものを叩毀してしまいたい愛着が私を生き生きと冴えて来た。私はすっくと立ち上がった。うしろからお夏の肩を抱いた。彼女は逃げようとして膝をついてお前へ出した拍子に私に凭れかかった。私は彼女の円い肩を頤で捕えた。彼女は右肩で私の胸を刳るように擦りながら向き直って顔を私の肩へ打ち付けて来た。そして泣き出した。
「私よく先生の夢を見ます。――痩せましたね。――胸の上の骨が噛めますね。」
私は二人の死の予感に怯えながら、現実の世界に住んでいないようなお夏を現実の世界へ取り戻そうとするかのように抱いていた。この静けさの底にあらゆる音が流れるのを聞いた>
「壁の染み」は「意識の流れ」の手法を用いた作家として有名な著者が、壁の染みについてさまざまな想像をめぐらしていく様を描いている。私には小難しくて楽しめなかった。
ラスト近く「木」についての記述を少しだけ引用すると、
<私は木そのもののことを考えるのも好きだ。まず考えるのは、木材であることの緊密で、乾いた感覚。それから風に翻弄されること。それから樹液の緩慢で心地よい分泌。私はまた冬の夜、広漠とした野原で葉を堅く閉じて立っている木を想像するのが好きだ。月の放つ鉄の銃弾に撃たれまいと弱い個所を護る木。陸に立つ裸のマスト。震えるマスト。一晩中震える>
間違いなく「説明」でなく「描写」がここにはある。
「途上にて」は、図書館の閉館後の帰り、「夜の散歩者たちに揉まれながら、バラダイスロストの通りの昔話をひとつ思い浮かべました」で始まる、架空の物語。これまた私にはうまく作品の中に入り込めず楽しめなかった。「幻」と相性が悪いのだろう。
<著者略歴
川端康成 かわばた・やすなり 1899-1972
大阪生まれ。1924年に横光利一らと「文芸時代」を創刊、新感覚派と呼ばれて文学界の一大勢力となる。『伊豆の踊子』『山の音』『雪国』など日本人の心のエッセンスを伝える作品を多数残した。68年に日本人初のノーベル文学賞を受賞。
ヴァージニア・ウルフ Virginia Woolf 1882-1941
20世紀を代表するイギリスの女性作家、フェミニスト。文化人サークルの中心として多くの知識人と交流。「意識の流れ」の手法で小説に革新をもたらし、日記や評論も数多く残している。生涯に渡って神経症に悩まされ、1941年に自殺。代表作に『ダロウェイ夫人』『灯台へ』など。
尾崎 翠 おさき・みどり 1896-1971
鳥取県生まれ。代用教員時代に雑誌で入選の常連となる。上京して文学に専念、『第七官界彷徨』などで注目を集めたが、幻覚症状がはげしくなり帰郷。以後は文学から遠ざかった。他の作品に『アップルパイの午後』『こおろぎ嬢』など。