求愛瞳孔反射
「求愛瞳孔反射」(穂村弘)は、歌集ではなくて、三十四編の詩集である。
「もともとこの詩集に収めた作品は前世紀末に失恋したときに書いたもので、ひとりの女性のイメージが全体を覆っているのです。(中略)最終的には100編を越えた記憶があります。そのうちの三分の一ほどを選んで一冊にしたわけです。」
短歌を百首と言っても(そう言えば石川啄木は、借金の返済日前になると一晩で百首近く歌ができたそうだが)すごいと思うのだが、100編の詩というのはもっと凄い。やはり恋は人を詩人にするようだ。多分、短歌はもっともっと一杯(もしかしたら詩の10倍ぐらい)作ったのではないかと想像するのだが、短詩型では表現できなかった思いを詩に綴ったのだろう。「デニーズ・ラブ」、「求愛者」など好きな詩がいくつかあるが、一番好きな詩は?と訊かれたら、この詩と答える。真冬にはちょっと季節外れの感もあるのだが。
<「かき氷の日」
「こぼさずに食べられないの? かき氷」
あなたは呆れて繰り返す。
どの夏もどの夏もどの夏も
僕の目の前のテーブルは濡れていた
そうして半袖シャツの裾も
開け放った窓の下で
かすかに汗ばみながら
あなたはねむっている
僕はタオルを首に巻いて
「百万人の手品入門」を読んでいる
それから僕は金平糖を宙に浮かべた
「お雛さまはお内裏さまを敵から守るために、左側にいるんですって」
「どういうこと?」
「ひだりに心臓があるから」
「……」
「……」
「心臓さえ守ればいいのかな」
「お雛さまはそう思ってるみたい」
カブトムシ用栄養ゼリーを買って帰る
夕暮れ
あなたが苦しげに息を弾ませる頃
カブトムシたちは薄桃色のゼラチンに顔を埋めている
夜の道が濡れている
雨は降っていないのに
つやつやと
ほんとうに濡れているようだ
ほんとうに
あれは
僕たちは夜の道をみている
僕はしゃがんで
あなたは立って>
最後の二連、映像が鮮やかに浮かび上がる。詩はこうでなくちゃあ。