「優秀だった社員も、ドコモに移るとダメになってしまう」――大企業病がまん延し、営業利益で業界3位に転落し、通信品質でも大きな問題を引き起こしたNTTドコモ。そんなドコモを復活させたのは、NTTによる「完全子会社化」という荒療治だった。『NTTの叛乱』の著者が迫る。
ドコモ「パケ詰まり」の真相
「電波の入りが悪い」「つながらない」――。2023年春、SNS(交流サイト)を中心に、NTTドコモの回線がつながりにくいという不満の書き込みが相次いだ。
普段からドコモ回線を使っている筆者も同時期、品質の著しい低下を実感していた。筆者の最寄り駅である東京23区内のJR線駅前において、スマホの地図アプリを使って行き先を検索しようとしても結果が返ってこないのだ。電車が動き出して少しすると、つながるといった具合だ。筆者はドコモ以外の回線も複数使っているが、他社回線ではここまでつながりにくいことはなかった。
外部調査でも、国内大手通信4社の中で特にドコモ回線の品質低下を示す結果が出ていた。英調査会社オープンシグナルが2023年4月に公表したリポートによると、通信品質を示す項目で、ソフトバンクがNTTドコモを抜いて首位となった。
「都市部や駅、駅周辺の一部混雑エリアで通信速度が低下する事象が発生している。新型コロナウイルス感染症の5類移行に伴う都市部への人流の戻りを読み誤り、エリアの調整が不足していた」
筆者の取材に対して、ドコモのネットワーク担当者は当時このように弁明した。渋谷や新宿など東京都心部の品質低下について2023年夏までに対策を進めることを表明した。
ドコモは同年7月末、東京・渋谷や新宿を含む都内4エリアにおいて通信品質が改善したと報告した。だが周辺地域ではその後も「電波の入りが悪い」「つながりにくい」という声が出ていた。NTT持ち株会社でも、ドコモの通信品質問題について不満を募らせていた。
ドコモは重い腰を上げ2023年10月、通信品質改善に向けた会見を初めて開催した。ここで300億円を投じ、全国約2000カ所のエリアと約50の鉄道沿線について抜本対策に乗り出す方針をようやく対外的に公表した。
「今回の改善を確実にやり切る。安心して利用できるネットワークを提供することを約束したい」
NTTドコモの小林宏常務執行役員(当時)は会見でこのように説明した。データやSNSを活用した品質改善が必要な場所の洗い出しや、マッシブMIMOと呼ばれる大容量通信を可能にする基地局の導入、いわゆる「パケ詰まり」を起こさないようにするための5Gから4Gへの切り替えの最適化に取り組むとした。
もっともこれらの対策は、KDDIやソフトバンクなど競合他社がこれまで実施してきた取り組みばかりだった。本来であればSNSで多くの不満の声が上がる前に、ドコモが率先して対応すべき内容といえた。
会見自体もNTT持ち株会社関係者から「ひどい内容だった」という声が聞かれたように、どこか他人事のような印象を与えた。利用者目線というよりは、時折NTT持ち株会社などに対する弁明のように聞こえるシーンもあったのだ。そもそも新型コロナウイルスの5類移行に伴う人流の戻りは、ドコモ回線に限った話ではなく、KDDIやソフトバンクなどのライバルも同様だ。疑問が増すばかりの会見だった。
なぜドコモ回線だけが著しく品質低下したのか。ドコモの内部事情に詳しいある通信関連アナリストは以下のように指摘する。
「ドコモの設備部門は計画経済のように硬直的に設備投資している。そのため、競合他社のようにタイムリーに通信品質の問題に対処できなかった」
ドコモが顧客視点と当事者意識をもっていれば、通信量の著しい増加に臨機応変に対応し、計画を前倒しするなどして通信品質の強化に向けた手を打てただろう。どこか他人事のような当事者意識の欠如が社内にまん延していることが、ドコモの通信品質問題を悪化させた可能性がある。
戦略ミスも通信品質低下の原因の1つとして浮かぶ。ドコモは、高速通信が可能な5G専用周波数帯を用いて速度を追求する「瞬速5G」というコンセプトでエリア展開を進めてきた。だが5G専用周波数帯は面的にエリアを広げることが難しく、5Gエリアが点在することで4Gとの切り替わりが頻繁に発生。それが結果的にパケ詰まりの頻発を招く一因となった。
KDDIやソフトバンクは、まずは電波が飛びやすい4G周波数帯を5Gに転用してエリアを広げた。ドコモだけが当初、専用周波数帯を中心に5Gを展開したことで、他社との通信品質の差が生まれた可能性がある。
かつてドコモは、チャレンジ精神が旺盛で自由闊達(かったつ)な社風が持ち味で、iモードのようなイノベーションを生んだ。今では「NTTグループの中で最大の課題」(NTT幹部)と呼ばれるほど組織が硬直化し、大企業病がまん延しているのである。
「危機感がないんじゃないか」
2020年12月、NTTによる完全子会社化の直後にNTTドコモ社長に就任した井伊基之氏は、当時のドコモの印象について筆者に以下のように語ったことがある。
「危機感がないんじゃないか、という感覚だった。なんでドコモはやらないのかという取り組みが多かった」
井伊氏は電電公社時代の1983年入社であり、NTT持ち株会社副社長時代にドコモを強化するプロジェクトなどに携わり、「破壊者」と呼ばれたNTT持ち株会社前社長、澤田純氏の懐刀だった。井伊氏は、江戸幕府で大老を務めた彦根藩・井伊直弼の末裔(まつえい)であり、その恰幅(かっぷく)の良さもあって「社長」というより「殿」と呼びたくなるような雰囲気を持つ。井伊氏は、NTT持ち株会社がドコモを変えるべく送り込んだ切り札だった。
井伊氏が社長に就任した2020年当時のドコモは、典型的な「ゆでカエル状態」(NTT幹部)にあった。電話番号を変えず他社に乗り換えられる「番号持ち運び制度(MNP)」では10年以上、転出超過が続き、顧客流出が止まらなかった。「3〜4年で数百万規模の顧客基盤が失われるままだった。トップシェアだから、他社に顧客を取られて当たり前という風潮がドコモにはあった」(NTT幹部)のである。
KDDIやソフトバンクが、UQモバイルやワイモバイルなど格安なサブブランドで顧客を積極的に奪いに来ても、当時のドコモは真っ向から対抗策を打ち出すことはなかった。こうしてドコモ発足当初は約6割あった携帯電話契約数のシェアも約4割まで落ち込んでいった。「モバイル事業は規模が大きく、それなりの収益・利益が上げられるため、シェアが落ちても社内には切羽詰まった危機感が全くなかった」(井伊氏)。
実際、井伊氏が社長に就任した2020年当時、ドコモのモバイル事業から得られる収益は、年2兆7400億円と依然として大きな規模だった。顧客基盤が徐々に失われているとはいえ、既に保有する数千万の契約数から毎月得られる数千円の月額収入は、掛け算をするとこれだけ大きくなるのだ。だがこの巨大なストック収入がドコモ社内の危機感を薄れさせ、社員から当事者意識を奪っていったのかもしれない。
NTTグループの主要会社で社長を務めたことがあるOBは、かつて筆者にこのように漏らしたことがある。
「優秀だった社員も、ドコモに移るとダメになってしまう」
ドコモは、NTT東日本や西日本、NTTコミュニケーションズ(コム)といったNTTグループの他の事業会社と比べると恵まれた事業環境にある。現状維持でなんとなく事業を進めていれば、ドコモではそこそこの結果を出せてしまう。他のNTTグループの事業会社で優秀だった社員も、ドコモに移ると、ぬるま湯の事業環境では堕落してしまうということだ。このぬるま湯の事業環境が、ドコモの社内を典型的な大企業病に陥らせた可能性がある。そしてこの大企業病が、シェア1位を確保しつつも、当時、営業利益でKDDIとソフトバンクに抜かれ「業界3位」に転落するというドコモの衰退をもたらした。
それでもドコモは、NTTグループの中で売上高の約4割、営業利益の約6割を占める稼ぎ頭であり、独立独歩の意識が強かった。1992年と早い時期にNTTグループから分離され、後に上場したこともその背景にある。NTTドコモ初代社長の大星公二氏がかつて「社名からNTTの名を外したい」と語ったことは今でも語り草だ。最近になっても、あるドコモ幹部が「(NTT持ち株会社は)モバイルのことが全然わかっていない」と平然と漏らすなど、NTT持ち株会社とドコモの間には常に緊張感が漂っていた。
だが2018年から2022年にかけてNTT持ち株会社の社長を務めた「破壊者」澤田氏が、そんなドコモを強引にねじ伏せた。2020年9月、約4.3兆円もの巨費を投じて、完全子会社化すると発表したからだ。
「完全子会社化によって、NTTドコモの競争力強化・成長を図る。ドコモはNTTコム、NTTコムウェアの能力を活用して、総合ICT(情報通信技術)企業として成長してほしい」
ドコモを完全子会社化すると発表した会見の席で澤田氏はこのように語った。後に「ドコモコムコム」の通称で呼ばれる新ドコモグループの構想はこの時からあった。そして4.3兆円の巨費を投じる完全子会社化は、NTT持ち株会社主導でドコモを立て直すという決意の表れでもあった。
「ショック療法」で再生へ
完全子会社化の後、2020年12月にドコモ社長に就いた井伊氏は、ドコモを立て直すべく「ショック療法」ともいうべき様々な施策をトップダウンで断行した。
コードネーム「市ヶ谷」――。井伊体制となったドコモがこう名付けた秘策が、2021年3月に開始したオンライン専用プラン「ahamo(アハモ)」だった。5分以内の国内通話かけ放題と20ギガバイトのデータ通信量がついて月額2970円(税込み)。他社と比べて格安な料金と、シンプルな提供条件が顧客に受け入れられ、実に12年ぶりというドコモのMNPの転入超過を一時もたらした。
2021年8月には、ドコモが長年ためらっていた家庭向けの5Gサービス「ホーム5G」も井伊氏のトップダウンで導入した。井伊氏はこう語る。
「他社が(ホーム5Gのようなサービスを)投入しているのに、これまでドコモ社内には『家の中にモバイルやWi-Fiを吹く(飛ばす)のはドコモの仕事ではない』という意識があった。案の定、投入すれば売れた。人間はこれまでのやり方を変えるのが不安。でも変えなければ取り残されてしまう。だから社員がためらっていることをリーダーが先にやると決める」
2022年1月には、完全子会社化の時から構想にあった、長距離・国際通信やITソリューションを担うNTTコムと、ソフトウエア開発を手掛けるNTTコムウェアを子会社化し、新ドコモグループをスタートさせた。同年7月にはドコモで法人事業を担当してきた社員をNTTコムに集約するという再編のステップ2を実施し、営業開始30年という節目のタイミングでドコモは完全に新体制へと移行した。
生まれ変わった新ドコモグループの業績は、3社の統合結果が如実に出た。例えば2021年度の売上高に相当する営業収益は5兆8702億円、営業利益は1兆725億円と、KDDI、ソフトバンクを抜いて売上高、営業利益共に業界1位に再び返り咲いた。特に売上高1兆円規模、営業利益1300億円規模だったNTTコムを傘下とした効果は絶大だった。
シナジー創出へ特命プロジェクト
新ドコモグループの成長に向けて大きな期待が寄せられていたのが法人事業だった。そのためには、ドコモとNTTコムの法人事業の統合によるシナジー効果を早期に生み出すほかない。だが統合準備をする中で、ドコモとNTTコムの文化の違いが課題として浮かび上がった。
「実はドコモとNTTコムはお互いのことをよく知らなかった」
ドコモとNTTコムの法人事業統合前の2022年当時、NTTコムの社員がこのように打ち明けたことがある。ドコモとNTTコムでは、その組織の成り立ちから注力エリア、文化に至るまでまるで違っていた。
例えばNTTコムの法人事業は大企業を中心に、長い時間かけて全社的なシステム案件を獲得するというスタイルだった。展開エリアも大企業が集中する東名阪が中心であり、実はそれ以外の地域の攻略にはそれほど力を入れていなかった。他方のドコモは、モバイルを中心に商材を売るようなスタイルだった。全国に支社を持つことから展開エリアは広い地域に広がり、中小企業も対象に幅広く案件獲得に動いていた。
新ドコモグループで法人事業の責任者となったNTTコムの丸岡亨社長(当時)は、こうした状況に危機意識を抱いた。そこで2022年1月、ある特命プロジェクトを発足させた。それが、ドコモとNTTコムの文化を融合させ早期にシナジーを創出することを目指した「Go Togetherプロジェクト」である。
ドコモとNTTコムの広報や人事のメンバー約30人でスタートしたこのプロジェクトは、両社の文化の違いを改めて深掘りしていった。組織長や従業員を対象にした大規模なアンケートからは、社員から「トップからの情報がもっとほしい」という切実な声が寄せられた。NTTによるドコモの完全子会社化が発表された2020年9月、NTTコムおよびNTTコムウェアと連携する方針が明らかにされていたが、実は再編に関する詳細な情報は社員にほとんど知らされていなかった。
そこで特命プロジェクトは2022年5月、社内ポータルサイト「Go Together」をオープンし、丸岡氏などトップのインタビューを掲載するなど、積極的な情報開示を始めた。ドコモからNTTコムへと新たに移ってきた社員には、「お互いを知り、リスペクトし合い、みんなで世界を変えていきましょう」という丸岡氏のメッセージを添えた「ウェルカムパッケージ」を用意した。NTTコムの仲間になるドコモ社員向けに、業務で必要になるノートパソコンや社員証用のストラップ、名刺などをまとめたものである。ドコモとNTTコムの一体感を醸成するための心配りだった。
シナジー創出に向けて社員の不安を取り除き、一体感を醸成する様々な取り組みが奏功したのだろう。2022年7月以降、ドコモとNTTコムが本格的に融合した法人事業はスムーズに立ち上がった。2025年度を最終年度とする中期戦略の折り返し地点に当たる2023年度の法人事業の業績は、売上高が1兆8817億円。2024年度法人事業の業績予想は、売上高が対前年5.2%増の1兆9800億円であり、中期目標である2兆円の売上高の水準を1年前倒しで達成できる可能性も出てきたのである。
堀越功(著)、日経BP、1870円(税込み)