「根拠とデータで説明しても、明らかに合理的でない判断をする上司。その理由が分かった気がする」。こんな感想が寄せられているのが、書籍『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』(日経BP)。本パートでは同書から抜粋して、多くの人が持っていて、コミュニケーションの妨げになりがちな「認知のゆがみ」や「認知バイアス」を紹介します。1回目は、そもそもなぜ、認知バイアスがコミュニケーションの妨げになるのかを見ていきます。
誰もが持つ「認知バイアス」。その正体は?
私たちはしばしば、
「これだけ丁寧に説明したのに、わかってもらえない」
「どう考えてもこちらが正論なのに、伝わらない」
という事態に遭遇します。長年同じ職場で働いていて、そこそこの専門知識を持っている者同士であっても、それは同様です。
なぜ、そんなことが起こるか。それは、コミュニケーションの過程では必ずその人の持つスキーマが介在するからです。スキーマは、私たちが物事を理解する際に裏で働いている基本的な知識や思考の枠組みであり、それがときにフィルターとして働くことで、コミュニケーションに支障を来してしまうことがあるのです。
こうした偏見や先入観、歪(ゆが)んだデータ、一方的な思い込みや誤謬(ごびゅう)を生み出す私たちの認知の傾向を、「認知バイアス」といいます。認知バイアスには様々な種類があることが知られています。
なぜ合理的に説明しても伝わらないのか
スティーブン・スローマン教授の『知ってるつもり 無知の科学』(フィリップ・ファーンバックとの共著、土方奈美訳、ハヤカワ文庫)では、様々な「認識の罠(わな)」が取り上げられています。ここでは認知バイアスに関する部分を取り上げます。
人工妊娠中絶を認めるかどうかは、アメリカの世論を二分する問題です。
しかしスローマン教授は、これらの問題について人々は、それぞれが政策を検討し、その政策がもたらす結果を考えた上で「賛成・反対」を示しているのではないといいます。そうではなく、自分が持つ「神聖な価値観」によって決め、そしてその決定を正当化するために理由を後づけで持ってきていることが多いというのです。
ある人にとっての神聖な価値観は「人工妊娠中絶は胎児に対する殺人に他ならない」というものですし、ある人にとってのそれは「女性には自分の体を守る権利がある」ということになります。
こうした「神聖な価値観」を前提とした判断のため、多くの人は自分の決定に自信を持っていますが、その決定に至った理由を論理立って説明することはできません。
自分と違う主張の人が、いくら追加で知識や情報を用意しても、ほとんどの場合、自分の判断に影響を与えることはありません。さらに、その人の主張の論理的な破綻をいくら説明しようとしても、聞く耳を持ってもらえないでしょう。
スローマン教授は、神聖な価値観とは「どのように行動するべきかの価値観」であり、「物事を過度に単純化するためのツール」であると指摘します。
要するに、熟慮して出した結論だと見せかけて、実際は厄介な細々とした因果分析をする手間を省いて自身の価値観から自動的に結論を持ってきただけで、証拠を吟味するなどの思考はほとんどまったくといっていいほどしていない、というわけです。
そして残念なことに、こうした「神聖な価値観」による物事の単純化を、私たちは日常生活の中で、頻繁に、無自覚に行っています。
「価値観を押しつけるな」という主張もまた、価値観の押しつけ?
2022年末、ある町が公式に出した移住者向けの案内が、話題になりました。その案内の内容は、町民としての意識を持ってほしいこと、都市生活よりも自然(豪雪など)の影響が強く注意が必要なこと、都市とは異なる人付き合いの濃さや支え合いの精神への理解を示してほしいことなど。移住後にトラブルにならないように気をつけてほしいことをあらかじめ示している、そんな位置づけの案内です。
その案内が話題になった理由はいくつかあると思いますが、私が特に気になったのが、「都会暮らしに染まった自分の価値観を地域に押しつけない」などの、価値観についての記載でした。
おそらくその町では、これまでに移住者との間で様々なトラブルがあったのでしょう。苦労をした人も多いのかもしれません。
これらの条文からは「新参者が自分たちに合わせるのは当然」という価値観が感じられ、反感を覚える人が出たのかもしれませんが、この町の住人にとっては自分たちの慣習が「神聖な価値観」に当たるのだと思います。
繰り返しになりますが、「神聖な価値観」とは、「どのように行動するべきかの価値観」であり、「物事を単純化するためのツール」です。この価値観があれば、物事を単純に考えることができる。つまり、「この町も、この時代の変化の中で、あるいは都会暮らしの人を受け入れる上で、何かしら変わっていく必要があるのではないか」という問題を、考えなくてよくなるのです。
「神聖な価値観」の前では「この町のやり方」が答えであり、「プライバシーや、都会あるいは別の地域の価値観について、どう考える?」といった面倒な議論を避けることができます。自分たちとは違う価値観を、大して深く考えずに気軽に全否定できるようになってしまうのです。
今井むつみ著/日経BP/1870円(税込み)