人文系に分類される分野の大学教員として、ポジショントークをかまします。
20世紀人類の最大の失敗は、科学だの経済的合理性だのを信仰するあまり、文芸や音楽や踊りや絵画や、その他のもろもろを、社会システム中のマージナルに突っ込み続けてきたことなんじゃないだろうか。そして今われわれは、それらのマージナルについて語ることすらマージナル領域に廃棄しようとしている。
どこが間違いだったかといえば、それはひとのこころの問題を甘く見すぎていたことである。合理性に支配された社会で衣食足りてればひとは幸せかというと、さっぱりそんなことはない。ひとはどのみちこころに振り回され、道に迷ってもがき続けて、それはやがて世界をまた一歩暗い方向に押しやるのだった。
OECDのBetter Life Indexという統計における日本のデータがなかなか興味深い:
このデータが示しているのは、日本は極めて教育レベルが高く、安全で、世界有数に長生きな国であるということ。でも、「自分の人生に関する満足度」であるとか、「自分がどれぐらい健康だと思うか」などの指標は、もう引くぐらい低いのである。
つまりわれわれは、戦後必死で働いて、誰もが高いレベルの教育を受けられ、安全で、長生きできる社会を造り上げたのに、「だけどもう、それだけじゃ足りないんだ」。こんなに成功しているのに、こんなに幸せじゃない。
われわれはわれわれのこころの問題を、科学であるとか経済であるとか換金可能性であるとか、そういういかにも現代に相応しいびっとしたものごとに付随する副次的な何かだと思い込もうとしてきた。それは間違いなく間違いだったと思う。
幼い頃から正しい選択を繰り返し、正しい学校に進み正しい会社に就職し、高ランク高収入の地位を勝ち取ることが「幸せ」そのものであるというのは、この世界に広く行き渡ってしまった幻想だ。こころが豊かであることは、決して「成功」に付随するオマケではないのだ。それ自体、深い苦悩と努力を通して勝ち取らなければいけない。そしてそうした勝ち取ったものには、例えば「年収数千万」と同じ程度には、その人の人生を支えてくれる実体があるのだ。
つまり僕は、「どちらも、とても大切なことである」という当たり前の認識を広げていきたいのですよ。例えばある一節のことばが魔法のようにこころを変えることと、物理の法則が世界を支配していると信じることは、実は全く排他的ではないのだ。