10歳に満たなかった夏淑琴さんの「南京事件」(マギーフィルム説明文の日本語訳)

今回の判決によって夏淑琴さんの名を知った人もおられると思う。

当時8歳の夏淑琴さんはマギー撮影のフィルムに映っている。
先日のエントリでマギーのフィルム説明文を引用したが、日本語訳は付けなかったのに気がついた。
今回はその日本語訳(石田勇治氏訳)を引用する。

凄惨な記述である。
私自身は、初めてこの史料を目にしたとき、最後まで読み進められなかった。途中でぐったりして、何も考えられず感じられない状態になってしまった。今から思うと自己防衛反応だったのだろう。

読み通すかどうかは、ひとりひとりの自己判断に委ねます。
なお、ウィキペディアの記述(http://ja.wikipedia.org/wiki/夏淑琴)も併せ読みください。
夏家と同居していたのは、ウィキペディアでは哈家となっています。

資料51
添付書類
一九三八年二月一〇日付南京分館報告(文書番号二七二二/一一一三/三八)に添付
内容----マギー牧師の解説書

(九)一二月一三日、約三〇人の兵士が、南京の南東部にある新路口五番地の中国人の家にやってきて、なかに入れろと要求した。戸は馬というイスラム教徒の家主によって開けられた。兵士はただちにかれを拳銃で撃ち殺し、馬が死んだ後、兵士の前に跪いて他の者を殺さないように懇願した夏氏を撃ち殺した。馬夫人がどうして夫を殺したのか問うと、かれらは彼女も撃ち殺した。夏夫人は、一歳になる自分の赤ん坊と客広間のテーブルの下に隠れていたが、そこから引きずり出された。彼女は、一人か、あるいは複数の男によって着衣を剥がされ強姦された後、胸を銃剣で刺され、膣に瓶を押し込まれた。赤ん坊は銃剣で刺殺された。何人かの兵士が隣の部屋に踏み込むと、そこには夏夫人の七六歳と七四歳になる両親と、一六歳と一四歳になる二人の娘がいた。かれらが少女を強姦しようとしたので、祖母は彼女たちを守ろうとした。兵士は祖母を拳銃で撃ち殺した。妻の死体にしがみついた祖父も殺された。二人の少女は服を脱がされ、年上の方が二、三人に、年下の方が三人に強姦された。その後、年上の少女は刺殺され、膣に杖が押し込まれた。年下の少女も銃剣で突かれたが、姉と母に加えられたようなひどい仕打ちは免れた。さらに兵士たちは、部屋にいたもう一人の七、八歳になる妹を銃剣で刺した。この家で最後の殺人の犠牲者は、四歳と二歳になる馬氏の二人の子どもであった。年上の方は銃剣で刺され、年下の方は刀で頭を切り裂かれた。傷を負った八歳の少女は、母の死体が横たわる隣の部屋まで這って行った。彼女は、逃げて無事だった四歳の妹と一四日間そこに居続けた。二人の子どもは、ふやけた米と、米を炊いたとき鍋についたコゲを食べて暮らした。撮影者は、この八歳の子から話の部分部分を聞き出し、いくつか細かな点で近所の人や親戚の話と照合し、修正した。この子が言うには、兵士たちは毎日やってきて、家から物を持って行ったが、二人の子どもは古シーツの下に隠れていたので発見されなかった。

 このような恐ろしいことが起こり始めると、近所の人はみな、難民区へ避難した。一四日後、フィルムに映った老女が近所に戻り、二人の子どもを見つけた。彼女が撮影者〔の私〕を、死体が後に持ち去られた広々とした場所を案内してくれた。

 彼女と夏氏の兄、さらには八歳の少女に問いただすことによって、この惨劇に関する明確な知識が得られた。このフィルムは、同じころに殺害された人の屍の群に横たわる一六歳と一四歳の少女の死体を映し出している。夏夫人と彼女の赤ん坊は最後に映し出される。

BA−R九二〇八/二二〇八/一四一−一五二

『ドイツ外交官の見た南京事件』(石田勇治訳)P176-177