石川達三「生きてゐる兵隊」は、発禁直後に中国語訳され刊行されていた

NHKスペシャル「従軍作家たちの戦争」を視聴した。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0814/index.html

日中戦争の時代、『麦と兵隊』で国民的作家になった火野葦平が克明に記した20冊もの従軍手帳が北九州・若松に遺されている。この程、全貌が明らかにされ、陸軍報道部を中心としたメディア戦略が浮かび上がってきた。当時、中国の蒋介石政権は日本軍の残虐行為を国際社会に訴えていた。のちに陸軍報道部長となる馬淵逸雄は、これに対抗するため、火野を報道班に抜擢。徐州作戦に従軍させ、「兵隊3部作」はベストセラーとなり、映画化もされ、戦意高揚に貢献する。さらにペン部隊が組織され、菊池寛、林芙美子ら流行作家が参加していく。
太平洋戦争が始まると、火野はフィリピンで宣撫工作に従事し、大東亜文学者会議をリードしていく。しかし、実際に火野が目にしたのは過酷な戦場の現実だった。戦後、戦争協力で批判された火野は、自ら命を断った。作家を戦争に動員した軍のメディア戦略と火野葦平の軌跡を初公開の従軍手帳や関係者の証言から描く。

この番組の前半で、石川達三「生きてゐる兵隊」が、発禁直後に中国語訳され刊行されていたことが紹介される。
上海図書館に所蔵されているのは2冊、それぞれ「活着的兵隊」と「未死的兵」というタイトルで、それぞれ1938年刊。「中央公論」1938年3月号は発売前日に発禁になっているが、早い時点で中国語訳がなされていたことがわかる。



※再放送は2013年8月17日(土)午前1時30分〜2時19分(16日深夜)