【再掲】「六十年経っても癒されない彼らのこの圧倒的他者性」

これも再掲。
読み直すと、この「他者性」ということの重みが、一年前よりもずっと痛切に感じられる。

野原さんは水木しげるの作品を紹介しつつ考察されている。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20060902

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20060819#p4に書いたのは、その晩のできごと。骸骨たちは集団で起きあがり、わざわざはるばる現地に来た水木に襲いかかる。「わしら30年近くも だれかこないかと まっていたんだ… …… わしらの気持ちが どんな気持ちか おまえらには わかるまい」「わしら 二十二 三で 生涯を 終っと るん やで」
死者たちのあふれる思いに対抗する何ものも水木にはないのは明らかだった。また死者の思いという表現も正確ではなく、彼らはある盲目的執着により〈悪〉として此の世に現象しただけかもしれない。事実漫画の次の画面では水木たちは遺骨を集め塚を作り酒を捧げ死者たちを慰めようとする。蝶たちが沢山よってきて慰霊は成功したかに描かれる。それでもこのシーンの眼目が骸骨たちの集団的な現前(それはもちろん夢のなかでの出来事なのだが)であることは疑いえない。
 日本でのほほんと過ごしている遺族ではなくわざわざはるばる現地に来た戦友に、襲いかかるという形でだけ、彼らは現在と一瞬コミュニケートできた。
 六十年経っても癒されない彼らのこの圧倒的他者性を、私たちは認識しなければいけない。