★来週、7/29から8/2まで本ブログはお休みします
パナソニックから発売されたテレビ、スマートビエラのCMを、テレビ局が放映拒否して話題を読んでいる。
パナソニックから発売されたテレビ、スマートビエラのCMを、テレビ局が放映拒否して話題を読んでいる。
ぼくはこのニュースを伊集院光さんのラジオを書き起こしたサイトで知った。
伊集院光が語る「スマートビエラCM禁止、放送業界はケツの穴小さい」
(世界は数字で出来ている)
スマートビエラは地上波テレビの他に、YouTube、ニコニコ動画などの動画サイトをテレビで見られる。
それは、そういうテレビ前からあったからいいのだが、スマートビエラはけしからんことに、スイッチを入れたら最初の画面が「地上波テレビ、YouTube、ニコニコ動画・・・のどれが見たいですか」というポータル画面から始まる。
それが問題になって、テレビではCMを流すのを止めたという話である。
ぼくは最初この話を聞いたとき、テレビ局はCMよりも強いんだ!?と疑問に思った。
なにしろ、民法テレビ局はCMを打って、スポンサーからお金をもらうことで拠って立っている。
だから原発を批判できないとか、化粧品を批判できないとか、お酒を批判できないとか言われていた。
つまりジャーナリズム>CMという関係である。
ところが、今回の話は、テレビ局がCMを切ったという話である。
これが意外だと思った。
伊集院さんも「テレビでもう『続きはWebで!』と言っているのにテレビでWebが見られるのを批判するのはおかしい」と言っているが、実際はこれはDHCなどのスポンサーが「テレビのCMではちょっとしかお伝えできませんから、我が社の製品の全容をお知りになりたければインターネットを見てください」と言っているわけである。
そういうメッセージを他ならぬテレビCMでやっているのだから、確かに面白い。
伊集院さんがラジオで、旧来の放送媒体を使ってテレビ局の姿勢を批判したというのも面白い。
コンテンツ制作サイドはもうネットなしでは情報発信はありえないと思っているし共存して行こうと思っているが、CMを出している編成や営業サイドはまた別ということだろうか。
さて、詳しい話が知りたいと思ったからネットを検索したら、いくつかの、いろいろな意味で面白いサイトに当たった。
スマートビエラはなぜ、CMを拒否されたのか?
つまり、テレビを見ている視聴者はあまりリテラシーが高くなくてテレビと他の番組が同時に流れると混乱して誤解する可能性が「『無い』とは言えない」から、その「『視聴者』を守る」ために混乱する機能を持ったテレビを排除している。
視聴者リテラシーが低いから通信と放送の融合が進まないの「かもしれない」。
本当ですか!?
この記事も面白かった。
「スマートビエラ」が踏み抜いたというARIBの「放送の一意性確保」ルール
長くて、テレビ局のタテマエとホンネの部分を両方推測して書いている記事なので容易に引用できないので、勝手に要約するが(正確な内容は元記事に当たってください)、要はテレビ局はコンテンツの同一性を保持する義務があるとARIB(一般社団法人 電波産業界)の規約で命じられているので、それを守るためにスマートビエラを認めていないのではないか、という話である。
この記事で面白かったのは、テレビ局はテレビにユーザーが勝手に何でも映すことを禁じているわけではない、ただ、それはユーザーがリモコン操作によって自主的に行うものでなくてはならない、今回のスマートビエラが問題なのは、電源を投入した最初に地上波とネットが同時に見られることである、ということである。
コンテンツ同一性というのはなんだろう。
同じ記事でも触れられているが、たとえばテレビは映画劇場(あれ、ツイッターを見ていると、見る人が結構まだ多くてビックリする)にCMを混ぜ込んで放送している。
あれは、ぼくなんかは映画というコンテンツにCMを混ぜ込んで、映画監督や俳優という芸術家のコンテンツ同一性を侵害して商売している(テレビ映画劇場とはそういうものだからもちろんそれはやむをえない)と思うのだが、テレビ局にしてみると、劇映画にCMを混ぜ込んだ状態が放送局にとってようやく完成した、同一性を尊重されるべき一つの立派な「コンテンツ」ということなのだろうか。
そんなことあるんだろうか。
地上波テレビ放送が狭くなり、L字でネットコンテンツが見えるようになるのがいけない、と言う話だが、最近のテレビはめちゃくちゃL字になる。
サッカー放送をL字にして選挙速報を表示していて、サッカーファンの小田嶋隆さんがツイッターで怒り狂っていて面白いが、あれも放送局に言わせると、狭いサッカー中継の外側に選挙速報をチラチラ見せるのが放送局の意に沿った、同一性を保持すべきコンテンツの完成形と言うことだろうか。
本当に?
テレビ局の意に沿わない情報を混ぜ込むのがコンテンツの同一性を侵害するということだが、最近のテレビは、ぼくも何回か見ているが、テレビ局の意に沿う形でめちゃくちゃ色んな情報を混ぜ込んでいる。
一例を挙げればトーク番組を見ていると芸能人が急にラーメン屋に行ってラーメンの味を褒めちぎる(画面の隅には店の地図と電話番号が表示される)ということがある。
ぼくなんかはあれを見ると「ああステマ・・・」と思うが(それが「リテラシー」があることなのかどうか知らないが)「シニア」はあれを見て「ああ、この芸能人はトークの流れをぶった切って急にラーメンを食べに行きたくなるほどこの店のラーメンが好きなんだ」と思うことが「無いとはいいきれない」のではないか。
これは放送の倫理に悖らないのだろうか。
(※ぼくは「シニア」の一人として、「シニア」だからリテラシーが低いという見方に与するものでないので念のため)
あと、さいきん報道番組を見ていると、ツイッターの意見がテロップとしてチラチラ出ていることがある。
あれはテレビ局が番組の#ハッシュタグをつけてツイートさせ、その意見の中から穏当で当たり障りのない意見をフィルタリングして表示しているのだ。
あれは、そういうツイートが加わって初めて完成したコンテンツ、ということなのだろうか。
でも、あれを見て「最近のテレビはインターネットにつながってるんだね!すごいね!これが若者のこのテレビに対する生の声なんだね!最近の若者は立派な意見を言う人ばっかりだね!」と勘違いしてしまうリテラシーのない「シニア」がいることも「無いとはいいきれない」のではないか。
逆に言うと、あのツイートが局の仕込み、局員乙であることも「無いとはいいきれない」。
ツイッターの規約上、そして技術上そういう意見を排除することは出来ない。
いろいろ問題があると思う。
さて、スマートビエラが「スイッチを入れたとき、ユーザーの意思とは関係なく複数の放送画面が混在することがARIBという組織の規約に違反する」のが問題だとすると、いっぱん家庭に販売する時点では従来どおり地上波単一放送にし、リテラシーのあるユーザーが設定画面で電源投入時は混在画面に行くように設定すればいいのだろうか。
さて、うちのレグザもテレビ本体の機能でYouTubeが見られないわけではないが、この話が出るまで忘れていたのだが、この機能を真面目に使ったことが1回もない。
リモコンで文字を打ち込むのが信じられないのである。
テレビでYouTubeを見るならApple TVを使うか(文字はiPhone連携で打ち込める)、Macbook Airをつないで見る。
でも動画を見るのはパソコンで十分という気もする。
あっちこっち動画にホッピングするのが楽しいので、テレビの大画面でわざわざ見たいと思わない。
ぼくは、シニア層の割には視聴者の中でもわりかしリテラシーが成熟した方だと思うが、リテラシーが成熟した客層はわざわざスマートビエラのポータル機能に魅力を感じない気がする。
(伊集院さんもそう言っている。)
ところが、この拒否されたCMは、YouTubeで配信され、めちゃめちゃ再生数が上がっている。
これで、面白がって買う人も結構いるのではないか。
CM放映拒否の「スマートビエラ」、YouTubeでの再生数が急上昇
ナイス炎上である。
伊集院光が語る「スマートビエラCM禁止、放送業界はケツの穴小さい」
(世界は数字で出来ている)
スマートビエラは地上波テレビの他に、YouTube、ニコニコ動画などの動画サイトをテレビで見られる。
それは、そういうテレビ前からあったからいいのだが、スマートビエラはけしからんことに、スイッチを入れたら最初の画面が「地上波テレビ、YouTube、ニコニコ動画・・・のどれが見たいですか」というポータル画面から始まる。
それが問題になって、テレビではCMを流すのを止めたという話である。
ぼくは最初この話を聞いたとき、テレビ局はCMよりも強いんだ!?と疑問に思った。
なにしろ、民法テレビ局はCMを打って、スポンサーからお金をもらうことで拠って立っている。
だから原発を批判できないとか、化粧品を批判できないとか、お酒を批判できないとか言われていた。
つまりジャーナリズム>CMという関係である。
ところが、今回の話は、テレビ局がCMを切ったという話である。
これが意外だと思った。
伊集院さんも「テレビでもう『続きはWebで!』と言っているのにテレビでWebが見られるのを批判するのはおかしい」と言っているが、実際はこれはDHCなどのスポンサーが「テレビのCMではちょっとしかお伝えできませんから、我が社の製品の全容をお知りになりたければインターネットを見てください」と言っているわけである。
そういうメッセージを他ならぬテレビCMでやっているのだから、確かに面白い。
伊集院さんがラジオで、旧来の放送媒体を使ってテレビ局の姿勢を批判したというのも面白い。
コンテンツ制作サイドはもうネットなしでは情報発信はありえないと思っているし共存して行こうと思っているが、CMを出している編成や営業サイドはまた別ということだろうか。
さて、詳しい話が知りたいと思ったからネットを検索したら、いくつかの、いろいろな意味で面白いサイトに当たった。
スマートビエラはなぜ、CMを拒否されたのか?
ARIBとしては、テレビ放送と、テレビ以外のコンテンツを画面に同時表示することを禁止しているのではない。しかし、テレビ放送とは公共性が高く、テレビに映し出されたものは「テレビ放送」と誤解してしまう視聴者の数はまだまだ多い。従って「テレビ受像機」として販売するならば、まず電源が投入されて表示れる(原文ママ)画面は「テレビ放送」が好ましく、その後ユーザが「明示的な操作」によってyoutube等の外部コンテンツを表示するのは視聴者自身が「テレビ以外のコンテンツ」であると認識しているわけなので、それは問題無い(ニ画面表示等)(原文ママ)ということなのである。
現在のスマートビエラの表示方式では、テレビ放送とyoutube等のテレビ外コンテンツがユーザ操作に関係なく同時表示されてしまうので、視聴者に誤解を与えてしまう恐れがあるというのが、CM放送出来ない理由である。
テレビ業界の考えが古いという意見には確かに私も賛同する部分が多いが、テレビの視聴者の大半は「シニア」であることを考えると、今回のような措置は仕方ない部分があるとは考える。例えば、スマートビエラに映し出されたニコニコ動画をフジテレビの放送と勘違いしてフジテレビにクレームを入れるという可能性も「無い」とは言えないのだから。
リテラシーの高いネット放送と、必ずしもリテラシーが高くない国民全体を対象としたテレビ放送という立場の違いが、今回のCM放送却下の本当の原因なのである。一見すると「テレビ放送の利権」を守っているようで、守っているのは「視聴者」なのだ。
なかなか進まない通信と放送の融合ではあるが、それを遅々とさせているものは、視聴者全体のリテラシーなのかもしれない。
つまり、テレビを見ている視聴者はあまりリテラシーが高くなくてテレビと他の番組が同時に流れると混乱して誤解する可能性が「『無い』とは言えない」から、その「『視聴者』を守る」ために混乱する機能を持ったテレビを排除している。
視聴者リテラシーが低いから通信と放送の融合が進まないの「かもしれない」。
本当ですか!?
この記事も面白かった。
「スマートビエラ」が踏み抜いたというARIBの「放送の一意性確保」ルール
長くて、テレビ局のタテマエとホンネの部分を両方推測して書いている記事なので容易に引用できないので、勝手に要約するが(正確な内容は元記事に当たってください)、要はテレビ局はコンテンツの同一性を保持する義務があるとARIB(一般社団法人 電波産業界)の規約で命じられているので、それを守るためにスマートビエラを認めていないのではないか、という話である。
この記事で面白かったのは、テレビ局はテレビにユーザーが勝手に何でも映すことを禁じているわけではない、ただ、それはユーザーがリモコン操作によって自主的に行うものでなくてはならない、今回のスマートビエラが問題なのは、電源を投入した最初に地上波とネットが同時に見られることである、ということである。
コンテンツ同一性というのはなんだろう。
同じ記事でも触れられているが、たとえばテレビは映画劇場(あれ、ツイッターを見ていると、見る人が結構まだ多くてビックリする)にCMを混ぜ込んで放送している。
あれは、ぼくなんかは映画というコンテンツにCMを混ぜ込んで、映画監督や俳優という芸術家のコンテンツ同一性を侵害して商売している(テレビ映画劇場とはそういうものだからもちろんそれはやむをえない)と思うのだが、テレビ局にしてみると、劇映画にCMを混ぜ込んだ状態が放送局にとってようやく完成した、同一性を尊重されるべき一つの立派な「コンテンツ」ということなのだろうか。
そんなことあるんだろうか。
地上波テレビ放送が狭くなり、L字でネットコンテンツが見えるようになるのがいけない、と言う話だが、最近のテレビはめちゃくちゃL字になる。
サッカー放送をL字にして選挙速報を表示していて、サッカーファンの小田嶋隆さんがツイッターで怒り狂っていて面白いが、あれも放送局に言わせると、狭いサッカー中継の外側に選挙速報をチラチラ見せるのが放送局の意に沿った、同一性を保持すべきコンテンツの完成形と言うことだろうか。
本当に?
テレビ局の意に沿わない情報を混ぜ込むのがコンテンツの同一性を侵害するということだが、最近のテレビは、ぼくも何回か見ているが、テレビ局の意に沿う形でめちゃくちゃ色んな情報を混ぜ込んでいる。
一例を挙げればトーク番組を見ていると芸能人が急にラーメン屋に行ってラーメンの味を褒めちぎる(画面の隅には店の地図と電話番号が表示される)ということがある。
ぼくなんかはあれを見ると「ああステマ・・・」と思うが(それが「リテラシー」があることなのかどうか知らないが)「シニア」はあれを見て「ああ、この芸能人はトークの流れをぶった切って急にラーメンを食べに行きたくなるほどこの店のラーメンが好きなんだ」と思うことが「無いとはいいきれない」のではないか。
これは放送の倫理に悖らないのだろうか。
(※ぼくは「シニア」の一人として、「シニア」だからリテラシーが低いという見方に与するものでないので念のため)
あと、さいきん報道番組を見ていると、ツイッターの意見がテロップとしてチラチラ出ていることがある。
あれはテレビ局が番組の#ハッシュタグをつけてツイートさせ、その意見の中から穏当で当たり障りのない意見をフィルタリングして表示しているのだ。
あれは、そういうツイートが加わって初めて完成したコンテンツ、ということなのだろうか。
でも、あれを見て「最近のテレビはインターネットにつながってるんだね!すごいね!これが若者のこのテレビに対する生の声なんだね!最近の若者は立派な意見を言う人ばっかりだね!」と勘違いしてしまうリテラシーのない「シニア」がいることも「無いとはいいきれない」のではないか。
逆に言うと、あのツイートが局の仕込み、局員乙であることも「無いとはいいきれない」。
ツイッターの規約上、そして技術上そういう意見を排除することは出来ない。
いろいろ問題があると思う。
さて、スマートビエラが「スイッチを入れたとき、ユーザーの意思とは関係なく複数の放送画面が混在することがARIBという組織の規約に違反する」のが問題だとすると、いっぱん家庭に販売する時点では従来どおり地上波単一放送にし、リテラシーのあるユーザーが設定画面で電源投入時は混在画面に行くように設定すればいいのだろうか。
さて、うちのレグザもテレビ本体の機能でYouTubeが見られないわけではないが、この話が出るまで忘れていたのだが、この機能を真面目に使ったことが1回もない。
リモコンで文字を打ち込むのが信じられないのである。
テレビでYouTubeを見るならApple TVを使うか(文字はiPhone連携で打ち込める)、Macbook Airをつないで見る。
でも動画を見るのはパソコンで十分という気もする。
あっちこっち動画にホッピングするのが楽しいので、テレビの大画面でわざわざ見たいと思わない。
ぼくは、シニア層の割には視聴者の中でもわりかしリテラシーが成熟した方だと思うが、リテラシーが成熟した客層はわざわざスマートビエラのポータル機能に魅力を感じない気がする。
(伊集院さんもそう言っている。)
ところが、この拒否されたCMは、YouTubeで配信され、めちゃめちゃ再生数が上がっている。
これで、面白がって買う人も結構いるのではないか。
CM放映拒否の「スマートビエラ」、YouTubeでの再生数が急上昇
ナイス炎上である。