敬愛するミュージシャン、ジョー・ザヴィヌルの音楽を紹介する連載である。
長い間ほうって置いてしまったが、今日第14回を書く。
今回はアルバム『スポーティン・ライフ』と『ディス・イズ・ディス』をまとめて紹介する。
これでウェザー・リポート時代は終了する。
長い間ほうって置いてしまったが、今日第14回を書く。
今回はアルバム『スポーティン・ライフ』と『ディス・イズ・ディス』をまとめて紹介する。
これでウェザー・リポート時代は終了する。
『スポーティン・ライフ』というのはスポーツする生活みたいな言葉だが、実際にはミュージカル『ポーギーとベス』に出てくる悪役の名前だ。
あまりアルバムの内容には関係ないと思う。
冒頭をはじめ、随所に出てくるコーラスはボビー・マクファーリンやカール・アンダーソンを中心とした超豪華なメンバーによるもので、どこの国の言葉でもない言葉で書かれた詞を歌うものだ。
このコーラスの録音がなかなかスパルタだったらしく、ザヴィヌルの注文で何度も何度もリテイクされたそうだ。
ミノ・シネルも自作曲「コンフィアンス」の中で歌っている。
全体的にいかにもウェザーというパラダイス感覚が横溢した音楽で、非常に気持ちいい。
クールな南洋の海という感じのアルバムで、肩の力が抜いた感じが伝わってくる。
マーヴィン・ゲイの 「What's Going On」をカヴァーしていたりする。
原曲の社会性は特になく、気持ちいい曲だから気持ちよく演奏してみました、という感じの演奏である。
ドラムのオマー・ハキムはこのアルバムが気に入っていて「こんなアルバムが売れたら良かったのに」とインタビューで発言していた。
この頃はウェザーはセールスに恵まれず、大きなバンドを維持してツアーに出ることが困難になっていた。
ジャズファンの中には「ショーターは金のためにウェザーにいる」と言う人がいたらしいが、実際にはウェザーは当時全然儲かっていなかった。
ショーターはV.S.O.P.で回顧的なストレート・ジャズをやっていた方が全然儲かったはずである。
当時は「新主流派」と言われるストレート・ジャズが流行で、ザヴィヌルのシンセサイザーや第三世界の音楽を積極的に取り入れた音楽は支持されていなかった。
ハービー・ハンコックはディスコ・ミュージックとストレート・ジャズにはっきり分化した音楽を二刀流でやって両方で成功を収めたが、あくまで両者を融合して新しい音楽を作ろうとしていた当時のザヴィヌルは不遇の時期を迎えていた。
次の『ディス・イズ・ディス』はメンバーが一定せず、明らかにショーターがサックスを吹くべき曲をザヴィヌルがシンセで弾いていたりするから、おそらく契約上の問題をクリアするために寄せ集めで出したアルバムと思しい。
ジャケットの後ろではザヴィヌルとショーターががっちり握手していて、中のスリーブには過去ウェザー関わったたくさんのミュージシャンがペン画のイラストで描かれているから、これがウェザー最後の作品であることははっきり意識されていた。
ちなみにザヴィヌルとショーターはなぜか左手で握手している。
デザイン上の理由で写真を裏焼きしたようだ。
評判が悪いこのアルバムだが、ぼくは大好きだ。
ちょっともう、ジャズやフュージョンの領域をはみ出してしまった作品である。
まず、冒頭をはじめ随所でサンタナのギターがフィーチャーされている。
特に最初の曲は、のちのプリンスなどに通底する新世代の音楽だ。
驚くのが火が付いたようにザヴィヌルがシンセを弾きまくる「Update」で、適当に手癖でシンセを弾いているのかと思いきや、これが書き譜だそうだ。
ウェザーはこのアルバムで解散する。
もともとザヴィヌルとショーターの二枚看板以外はメンバーが固定しなかったバンドだから、ザヴィヌルとショーターが決別したことで自然に解散したようだ。
そして最終作の『ディス・イズ・ディス』は、ザヴィヌルの次のステージであるソロ・キャリアの予感、大きな作風の変更を感じさせる作品である。
過去のウェザーの作品と比較した特徴としてはジャズ色が少なく、アフリカ、カリブ感が強い。
テンポ・チェンジやコード・チェンジが少なく、同じパターンを延々と繰り返して聴く人をトランス状態に導く音楽である。
また、ヴォーカルがフィーチャーされている。
同時期のザヴィヌルのソロ作品『ダイアレクツ』を聴いてもその方向性は強く感じられる。
いま振り返ると、同じ80年代にロック界を震撼させていたトーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』を思わせる音楽だ。
そして、ショーターと決別した理由も理解できる気がする。
ショーターはジャズ史を代表する偉大な音楽家だが、美しく神秘的なメロディ、複雑で酔うようなコード・チェンジが特徴だ。
それに対してザヴィヌルは、単純な音楽を繰り返すことで精神的な高揚を喚起する、のちのハウスやテクノの先駆けになる音楽を追求したのだと思う。
70年代末期にマイルスがショーターを解任したのも同様の理由だと思う。
もはやメロディを歌う時代ではなく、ミニマルな音楽で踊り狂う時代であると思っていたのではないだろうか。
しかし、ジャズファンはそれを受け入れず、アコースティックな新主流派が完全にジャズの主流となっていた。使い古された言葉だが、やはりどうしようもなく言ってしまうが、ザヴィヌルは早すぎたのだと思う。
あまりアルバムの内容には関係ないと思う。
冒頭をはじめ、随所に出てくるコーラスはボビー・マクファーリンやカール・アンダーソンを中心とした超豪華なメンバーによるもので、どこの国の言葉でもない言葉で書かれた詞を歌うものだ。
このコーラスの録音がなかなかスパルタだったらしく、ザヴィヌルの注文で何度も何度もリテイクされたそうだ。
ミノ・シネルも自作曲「コンフィアンス」の中で歌っている。
全体的にいかにもウェザーというパラダイス感覚が横溢した音楽で、非常に気持ちいい。
クールな南洋の海という感じのアルバムで、肩の力が抜いた感じが伝わってくる。
マーヴィン・ゲイの 「What's Going On」をカヴァーしていたりする。
原曲の社会性は特になく、気持ちいい曲だから気持ちよく演奏してみました、という感じの演奏である。
ドラムのオマー・ハキムはこのアルバムが気に入っていて「こんなアルバムが売れたら良かったのに」とインタビューで発言していた。
この頃はウェザーはセールスに恵まれず、大きなバンドを維持してツアーに出ることが困難になっていた。
ジャズファンの中には「ショーターは金のためにウェザーにいる」と言う人がいたらしいが、実際にはウェザーは当時全然儲かっていなかった。
ショーターはV.S.O.P.で回顧的なストレート・ジャズをやっていた方が全然儲かったはずである。
当時は「新主流派」と言われるストレート・ジャズが流行で、ザヴィヌルのシンセサイザーや第三世界の音楽を積極的に取り入れた音楽は支持されていなかった。
ハービー・ハンコックはディスコ・ミュージックとストレート・ジャズにはっきり分化した音楽を二刀流でやって両方で成功を収めたが、あくまで両者を融合して新しい音楽を作ろうとしていた当時のザヴィヌルは不遇の時期を迎えていた。
次の『ディス・イズ・ディス』はメンバーが一定せず、明らかにショーターがサックスを吹くべき曲をザヴィヌルがシンセで弾いていたりするから、おそらく契約上の問題をクリアするために寄せ集めで出したアルバムと思しい。
ジャケットの後ろではザヴィヌルとショーターががっちり握手していて、中のスリーブには過去ウェザー関わったたくさんのミュージシャンがペン画のイラストで描かれているから、これがウェザー最後の作品であることははっきり意識されていた。
ちなみにザヴィヌルとショーターはなぜか左手で握手している。
デザイン上の理由で写真を裏焼きしたようだ。
評判が悪いこのアルバムだが、ぼくは大好きだ。
ちょっともう、ジャズやフュージョンの領域をはみ出してしまった作品である。
まず、冒頭をはじめ随所でサンタナのギターがフィーチャーされている。
特に最初の曲は、のちのプリンスなどに通底する新世代の音楽だ。
驚くのが火が付いたようにザヴィヌルがシンセを弾きまくる「Update」で、適当に手癖でシンセを弾いているのかと思いきや、これが書き譜だそうだ。
ウェザーはこのアルバムで解散する。
もともとザヴィヌルとショーターの二枚看板以外はメンバーが固定しなかったバンドだから、ザヴィヌルとショーターが決別したことで自然に解散したようだ。
そして最終作の『ディス・イズ・ディス』は、ザヴィヌルの次のステージであるソロ・キャリアの予感、大きな作風の変更を感じさせる作品である。
過去のウェザーの作品と比較した特徴としてはジャズ色が少なく、アフリカ、カリブ感が強い。
テンポ・チェンジやコード・チェンジが少なく、同じパターンを延々と繰り返して聴く人をトランス状態に導く音楽である。
また、ヴォーカルがフィーチャーされている。
同時期のザヴィヌルのソロ作品『ダイアレクツ』を聴いてもその方向性は強く感じられる。
いま振り返ると、同じ80年代にロック界を震撼させていたトーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』を思わせる音楽だ。
そして、ショーターと決別した理由も理解できる気がする。
ショーターはジャズ史を代表する偉大な音楽家だが、美しく神秘的なメロディ、複雑で酔うようなコード・チェンジが特徴だ。
それに対してザヴィヌルは、単純な音楽を繰り返すことで精神的な高揚を喚起する、のちのハウスやテクノの先駆けになる音楽を追求したのだと思う。
70年代末期にマイルスがショーターを解任したのも同様の理由だと思う。
もはやメロディを歌う時代ではなく、ミニマルな音楽で踊り狂う時代であると思っていたのではないだろうか。
しかし、ジャズファンはそれを受け入れず、アコースティックな新主流派が完全にジャズの主流となっていた。使い古された言葉だが、やはりどうしようもなく言ってしまうが、ザヴィヌルは早すぎたのだと思う。