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リトルワールド設立と展示の魅力(博物館展示論第1回)#放送大学講義録

現在のリトルワールドのHPは

www.littleworld.jp

以下数回にわたる館内の紹介は数年前のもので、現在のものとは違っている可能性があるので念頭において欲しい。

 

ーーーー講義録始めーーーー

 

それでは、ここからは第1回のテーマである展示の構想と具現化についてお話しします。

私自身が以前勤務し、博物館の設立に携わった野外民族博物館リトルワールドを取り上げ、それがどのように構想されたのか、展示のコンセプトがどのようなものであったか、それが実際にどのように具現化されていったのかをご紹介します。

まず、リトルワールドの概要をご覧いただき、その後、リトルワールド館長の大貫良夫さんにお話を伺った内容をご紹介します。

愛知県犬山市にある野外民族博物館リトルワールドは、正面入口を入ると、本館の展示として人類の進化に関する展示と人間の文化を表す民族資料の展示が行われています。この博物館の設立経緯について、大貫館長に伺いました。


設立のきっかけと経緯

「まず、リトルワールド設立のきっかけと経緯についてお話しいただけますか?」と質問したところ、大貫館長は次のように語られました。

「1970年に大阪で万博が開催されました。その少し前、名古屋鉄道の会長であった土川元夫さんが万博の話を聞いて、『万博終了後、各国のパビリオンを移設し、それぞれの国の文化を象徴する建築物として保存できないだろうか』というアイデアを持たれました。そして、そのアイデアをもとに、世界文化を紹介する野外博物館を作ることを構想したのです。

しかし、実際に万博が開かれてみると、パビリオンの多くは非常に近代的な建物であり、設計も仮設的でした。半年もてば良いという設計で、移設には適さなかったのです。しかし、アイデアそのものは素晴らしいと考えられ、『本物の建築を用いて展示を構成してはどうか』という話になりました。」

その後、名古屋鉄道は東京大学文化人類学の泉靖一教授に相談を持ちかけました。それが1968年頃のことだったといいます。泉教授は大貫館長にも声をかけ、この計画について意見を求めました。


アメリカの博物館から得た発想

大貫館長は当時を振り返り、次のように語っています。

「私はその少し前に、アメリカのスミソニアン博物館の自然史博物館で人類学部門の研究員として研修を受けていました。そこで、アメリカの博物館が一般の人々に開かれた施設であり、観覧者が興味を持てるよう工夫されているのを目の当たりにしました。一方、日本の博物館は暗い雰囲気が漂い、展示物を見るだけの静的な空間でした。そこで、観覧者と博物館が相互作用するような展示が理想ではないかと考えるようになりました。

泉教授から相談を受けた際、この考えを基に提案を行いました。その結果、名古屋鉄道から『設立を任せたい』と声をかけられました。」


設立の具体的な作業

リトルワールドの設立地が現在の犬山市の山間部に決まると、大貫館長は次のような取り組みを始めました。

「山の中を歩き回り、地形を徹底的に調査しました。地形に基づき、展示物の配置や建築構造を考えました。その結果、文化人類学を基にした博物館という方針を決定しました。ただし、民族資料だけでは観覧者の興味を引くには不十分と考え、人類の進化や自然環境も展示に取り入れることで、博物館の魅力を高めようとしました。」


コンセプトの実現

このようにして、リトルワールドは大阪万博をきっかけに誕生し、独自の展示コンセプトが確立されました。本物の建築物を使った展示が特徴的であり、文化人類学の視点を重視しつつも、観覧者との相互作用を意識した博物館として具現化されました。


この講義では、リトルワールドを例に、展示の構想から具現化までのプロセスを学びました。次回は、異なる博物館の展示事例を通じて、展示のメッセージ性について考察していきます。

 

 

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