現在、「臓器移植法」の「改変」が、国会で審議されています。
衆議院では、いわゆるA案という案が、263/430で通過しました。
その通過のいきさつが、かねてよりA案の「おかしさ」を
論じてきた阿部知子議員のメルマガ「カエルニュース346号」が伝えています。
阿部知子氏は、小児科医であると同時に国会議員です。
私個人としても「脳死」には疑義があり、その論点には
同感するところがありますので、以下に掲載させていただきます。
改行など含め、すべて原文のままです。
★☆擬似民主主義の末路、弱者の圧殺☆★
18日の衆議院本会議で、臓器移植法の改正に関わる4法案
のうち「脳死は人の死」とするA案が、投票総数430のうち賛成
263で過半数を獲得して可決された。
477人(議長を除く)の衆議院議員のうち、欠席・棄権の47
人を差し引いた430人が、A案への賛否を表明した訳であるが、
この採決の前提自体が十分な審議の上には成り立っていないこ
とは、これまで繰り返し述べてきた。解散・総選挙が間近に
迫っているこの時期に、人の生命の終わりに直結する法案をど
さくさ紛れで採決することは、大きな禍根を残すことも指摘し
てきた。
そんな中で迎えた当日の採決は、A案への賛成が投ぜられる
都度、歓声や拍手が起こり、ざわついた会場の中で笑い声さえ
聞かれる不謹慎極まりないものであった。
臓器移植とは、常に一方で「死者」とされるドナーを必要と
しており、そうやって亡くなっていかれる方の存在なくしては
成り立たない特別な医療である。移植への道が広がるかもしれ
ないとはいえ、決して両手を挙げてあるいは笑い声の下に合意
されるようなものではない。そもそもすでに死者とされた遺体
に対して人間としての礼節があって当然であり、まして脳死か
ら心臓死へと生命の最後のろうそくをつなぐその時間を断ち切
る臓器摘出である。そのことを思えば、せめては生命への深い
敬意を払いながら投票されてしかるべきではないか。
ところが、当日の本会議場で起こったことは一人一人の重い
決断とは全く異なるものであった。A案提案者の一人は本会議
場の中で、事前にA案支持と確認されていた議員の一人一人に、
さらに念を押すかのように八つ折りにされたA4の小さな紙を
そっと手渡して回っていた。その小さな紙には「A案は臓器提供
を選択した場合のみ脳死を人の死とする案であること、WHOから
推奨された法案であること、そしてA案が否決された場合には、
その後の投票は棄権せず反対票を投ずること」などが書かれて
いた。
私は一瞬わが目を疑った。A案は、臓器移植の場面に限らず脳
死を人の死とするという考え方にたっている。6条2項の条文で
は、現行法で規定されている「臓器の提供される者」という部
分を、わざわざ削除したしている。この点については、これま
で2回の委員会で指摘したが、提案者から明確な答弁が得られな
かった。またWHOの推奨などという表現は過大広告と同じで極め
て不適切である。さらにA案が否決された後、他の法案への投票
行動まで指示し、D案の成立を妨げようとすることはやり過ぎで
ある。そこまで指示するのは、党議拘束以上の「判断拘束」で
ある。
その結果、雪崩を打ったようにA案が予想を上回る支持を得た
とすれば、議員の選択は熟慮とはほど遠い。もし、議員の投票
行為をその程度のものと考え、ただ数においてのみ優位を占め
さえすればよいとするのなら、そのようなやり方は人間の生命
への冒とくであり民主主義の否定である。そもそもそんなやり
方であの263票が得られたのなら、その正当性自体が問題となる。
当日採決されることのなかったB案・C案・D案の提案者は、そ
うした多数派工作をせずに、ただひたすら一人一人の議員が自
らの良心に従っていずれの案に投票するかを考えるべきとの立
場でこの日に臨んだ。与野党対立ではなく、総裁選でもなく、
派閥工作でもない、一人の個人に立ち戻った判断を問いたかっ
たからである。
衆議院では結果においては敗北したが、今後の参議院での審
議では浮き足立った衆院での決定を是正し、真に良識の府とし
て恥ずることのないものにして欲しい。生命倫理に関する真に
意味ある法律が生まれることを確信している。
阿部知子
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◎ 編集・発行: 阿部知子事務所
★登録申込・解除、HP: http://www.abetomoko.jp/
◇ ご意見・お問い合わせ: [email protected]
■当ニュースに掲載された記事は自由に転載・再配布できます。
但し、抜粋・改変によるものは禁じます。
衆議院では、いわゆるA案という案が、263/430で通過しました。
その通過のいきさつが、かねてよりA案の「おかしさ」を
論じてきた阿部知子議員のメルマガ「カエルニュース346号」が伝えています。
阿部知子氏は、小児科医であると同時に国会議員です。
私個人としても「脳死」には疑義があり、その論点には
同感するところがありますので、以下に掲載させていただきます。
改行など含め、すべて原文のままです。
★☆擬似民主主義の末路、弱者の圧殺☆★
18日の衆議院本会議で、臓器移植法の改正に関わる4法案
のうち「脳死は人の死」とするA案が、投票総数430のうち賛成
263で過半数を獲得して可決された。
477人(議長を除く)の衆議院議員のうち、欠席・棄権の47
人を差し引いた430人が、A案への賛否を表明した訳であるが、
この採決の前提自体が十分な審議の上には成り立っていないこ
とは、これまで繰り返し述べてきた。解散・総選挙が間近に
迫っているこの時期に、人の生命の終わりに直結する法案をど
さくさ紛れで採決することは、大きな禍根を残すことも指摘し
てきた。
そんな中で迎えた当日の採決は、A案への賛成が投ぜられる
都度、歓声や拍手が起こり、ざわついた会場の中で笑い声さえ
聞かれる不謹慎極まりないものであった。
臓器移植とは、常に一方で「死者」とされるドナーを必要と
しており、そうやって亡くなっていかれる方の存在なくしては
成り立たない特別な医療である。移植への道が広がるかもしれ
ないとはいえ、決して両手を挙げてあるいは笑い声の下に合意
されるようなものではない。そもそもすでに死者とされた遺体
に対して人間としての礼節があって当然であり、まして脳死か
ら心臓死へと生命の最後のろうそくをつなぐその時間を断ち切
る臓器摘出である。そのことを思えば、せめては生命への深い
敬意を払いながら投票されてしかるべきではないか。
ところが、当日の本会議場で起こったことは一人一人の重い
決断とは全く異なるものであった。A案提案者の一人は本会議
場の中で、事前にA案支持と確認されていた議員の一人一人に、
さらに念を押すかのように八つ折りにされたA4の小さな紙を
そっと手渡して回っていた。その小さな紙には「A案は臓器提供
を選択した場合のみ脳死を人の死とする案であること、WHOから
推奨された法案であること、そしてA案が否決された場合には、
その後の投票は棄権せず反対票を投ずること」などが書かれて
いた。
私は一瞬わが目を疑った。A案は、臓器移植の場面に限らず脳
死を人の死とするという考え方にたっている。6条2項の条文で
は、現行法で規定されている「臓器の提供される者」という部
分を、わざわざ削除したしている。この点については、これま
で2回の委員会で指摘したが、提案者から明確な答弁が得られな
かった。またWHOの推奨などという表現は過大広告と同じで極め
て不適切である。さらにA案が否決された後、他の法案への投票
行動まで指示し、D案の成立を妨げようとすることはやり過ぎで
ある。そこまで指示するのは、党議拘束以上の「判断拘束」で
ある。
その結果、雪崩を打ったようにA案が予想を上回る支持を得た
とすれば、議員の選択は熟慮とはほど遠い。もし、議員の投票
行為をその程度のものと考え、ただ数においてのみ優位を占め
さえすればよいとするのなら、そのようなやり方は人間の生命
への冒とくであり民主主義の否定である。そもそもそんなやり
方であの263票が得られたのなら、その正当性自体が問題となる。
当日採決されることのなかったB案・C案・D案の提案者は、そ
うした多数派工作をせずに、ただひたすら一人一人の議員が自
らの良心に従っていずれの案に投票するかを考えるべきとの立
場でこの日に臨んだ。与野党対立ではなく、総裁選でもなく、
派閥工作でもない、一人の個人に立ち戻った判断を問いたかっ
たからである。
衆議院では結果においては敗北したが、今後の参議院での審
議では浮き足立った衆院での決定を是正し、真に良識の府とし
て恥ずることのないものにして欲しい。生命倫理に関する真に
意味ある法律が生まれることを確信している。
阿部知子
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但し、抜粋・改変によるものは禁じます。
私自身も、先生の文章を読んで、原点・本質を考えることから離れてしまっていることによく気づかされます。日々悪戦苦闘している確認申請については特に。。。
久々にコメントしました。時々掲載されている植物の写真にいつも癒されています、ぜひこれからもお願いいたします。(個人的には猫など動物の写真もたまに載せていただけると嬉しいです!)
いろいろと書いていますが、
ときどき、
こんなことを書かなければならないなんて・・・、と
嫌になることもあるのです。
しかし、やはり、ほんとのことは書かなければ、
と思うのです。
ほんとのこと、とは、「根本的なこと」のことです。
「根本的な」を辞書でひくと radical になります。
通常、この語は「過激な」と訳されて、
今の世では「忌避」されます。
みんな「穏やか」なんですね。
波風立てないで、太いものには巻かれる・・・。