芸能には多くの形態がありますが、いまの中国ではドラマの勢いが強く、アイドルやモデルとしてデビューしたタレントが長く芸能活動を続けていこうと思ったら、俳優にシフトすることを目指すのが当たり前になっています。これは中国に限らず、日本や韓国でも同じだと思います。
日本や韓国では芸能界の入口として「アイドル」という形態の芸能が確立されていますが、中国ではオーディション番組の機制強化などにより、アイドルを取り巻く環境は厳しくなっています。現役中国アイドルの筆頭人物であった蔡徐坤(ツァイ・シュークン)がスキャンダルにより社会批判を浴びて表舞台から退いたことも影響しています。アイドルは、オンラインに比重を置いたり、バーチャル化したり、地下アイドル化したりして活動が見えにくくなっています。
とはいえ、中国芸能界でアイドルとして成功したケースがないわけではなく、「中国のアイドル」を作り出そうという動きが盛んだった時期もありました。
2000年代には『超級女声』(Super Girls)を初めとするオーディション番組が大流行し、視聴者の人気投票により歌手デビューする「アイドル」が多数生まれました。
多々あるオーディション番組の中でも斬新だったのが、2006年と2007年の2シーズンに渡って放送された『加油!好男児』(上海東方衛視(SMG)制作)です。
他のオーディション番組がデビューを目指して歌唱パフォーマンスを競い合うことをテーマとしていたのに対し、『加油!好男児』は何を競うのか、何を基準に評価するのか明確な指標がありませんでした。番組名からすると、「好男児」を選ぶというコンセプトであったと思われますが、そもそも「好男児」とは具体的にどういう存在なのか?という問いに誰も明確な答えを出せず、「「好男児」とは何なのか皆で一緒に考えていきましょう」と司会者が提案するという、いまでは考えられない大らかな番組でした。
『加油!好男児』では、歌・ダンス・演技などのスキルに対して厳しい要求が課せられず、単なるイケメンコンテンストとどこが違うのだという声もありましたが、天性のアイドル性を持つ男の子が視聴者の投票によってどんどん勝ち進むという現象がみられました。
結果的に、この番組の出場者から多くの人気俳優が生まれました。
2007年(第2シーズン)の優勝者は、現在俳優として第一線で活躍している井柏然(ジン・ボーラン)です。
2位になったのが、喬任梁(チャオ・レンリャン/kimi)、3位が付辛博(フー・シンボー)でした。
井柏然(ジン・ボーラン)は『加油!好男児』参加当時18歳の学生で、爽やかなルックスと歌の上手さで注目を浴び、優勝に至りました。
1989年4月19日生まれ、瀋陽出身の井柏然は、180㎝を超える身長でスタイルがよく、中国北方人特有の色白であっさりと整った顔立ちでした。番組の中では最年少に近く、周りのお兄さんたちに守られていましたが、パフォーマンスでは勝負に強く、ポテンシャルからみて優勝するのも納得でした。
2位に入った喬任梁(チャオ・レンリャン/kimi)は地元・上海出身でコミュ能力が高く、元高跳び選手で学生時代にバンドを組んでいた人気者で、髪は長めでおしゃれが好きというキャラの美形でした。
3位の付辛博(フー・シンボー)は、1987年3月5日生まれ、西安出身、番組参加当時20歳でした。
身長183cm、細身の恵まれたルックスの持ち主ですが、歌、ダンス、演技のいずれにおいても、これといって突出したスキルはなく、顔立ちがすごく華やかだったわけでもありません。ですが、雰囲気がかっこよく、視聴者の女の子たちから強い支持を集め、3位に入りました。
当時20歳だった付辛博は、芸能活動歴があるわけでもなく、芸術系の学校に在籍しているわけでもなく、芸能人になりたいというだけの白紙に近い状態でオーディション番組に参加していました。
それでも人の目に止まり、熱狂的なファンを獲得するというのは、天性のアイドル性があったからです。独特の雰囲気を持つイケメンでした。
付辛博は音楽的にも素人に近い状態ながら、番組審査員である有名音楽プロデューサーに、「君のことをプロデュースしてみたい」と言わしめるほどの何かがありました。
番組終了後、井柏然と付辛博は大手芸能事務所である華誼兄弟と契約し、二人の名前を合わせて命名された「BOBO」(ボボ)というユニットを組んで歌手デビューしました。
「BOBO」としてCDデビューしたのは2007年10月なので、夏に番組が終わってからその熱が冷めやらぬうちにデビューできたといえます。
BOBOデビューCD「光栄」2007年10月発売。左が井柏然(ジン・ボーラン)、右が付辛博(フー・シンボー)。

振り返ってみると、中国で男性アイドルユニットとしてデビューしたのは、後にも先にも「BOBO」だけだったように思います。
男性二人ボーカルのデュオというジャンルのアーティストはいますが、2人組の男性アイドルユニットは珍しいです。
それだけ井柏然と付辛博のポテンシャルが高く買われていたともいえるし、当時は男性2人のアイドルユニットという形式が持つリスクを認識していなかったのかもしれません。
「BOBO」が活動したのは実質2年余りで、2010年にはソロ活動に移行し、2012年には事務所との契約満了により正式に解散しています。
「BOBO」の二人は2010年に公開された『全城熱恋』というオムニバス形式の映画に出演しており、井柏然(ジン・ボーラン)はあるエピソードの主役を務め、相手役ヒロインはバラエティでブレイクする前のアンジェラ・ベイビー(楊穎)でした。
井柏然は派手な顔立ちではありませんが、スタイルがよく清潔感のあるルックスで、演技のセンスがありました。
比較的早い段階で音楽活動を離れて俳優業に専念し、いつの間にか第一線で活躍する映画俳優となっていました。
俳優として認められるきっかけとなったのは、2015年に公開された映画『失孤』です。
『失孤』は2歳のときに連れ去られた息子を十数年に渡って探し続けている中年男性(アンディ・ラウ)と、幼い頃に連れ去りにあった青年(井柏然)が出会い、失われた家族と故郷を探すという中国の幼児誘拐(人身売買)をテーマにした社会派映画です。井柏然はこの作品での演技が高く評価され、若手演技派俳優として認められるようになります。

同じく2015年にはCGファンタジー映画『捉妖記』も公開されます。
『捉妖記』は『失孤』とは違って大衆的な娯楽映画です。井柏然は主役を演じますが、妖怪を妊娠して出産する(口から出産)というチャレンジングな役を演じました。

2018年には台湾女優・歌手であるレネ・リウ(劉若英)の監督作である『僕らの先にある道』(后来的我们/Us And Them)で主役を演じ、この頃には主役級の人気俳優としてのポジションが確立されていました。

恋愛、人間ドラマのほか、映画『風中有朶雨做的云/シャドウプレイ』(2019年公開)、ドラマ『新生』(2024年配信)などクライムサスペンスの出演も多いです。
企業広告の出演も多く、2017年から2021年にかけてはユニクロ中国のイメージキャラクターを務めていました。

「BOBO」の相方であった付辛博(フー・シンボー)も、「BOBO」解散後、やはり俳優活動にシフトしていきます。井柏然のようにすぐに主役級の俳優としてキャリアを積めたわけではありませんが、活動が途絶えたことはなく、ドラマやバラエティにコンスタントに出演しています。
付辛博にとって転機となったのは、2016年に恋愛バラエティ『如果愛 Perhaps Love 第3シーズン』に出演し、恋愛バラエティで共演した女優(穎児)と結婚したことです。結婚から間もなく女の子も生まれ、家族のショットをSNSで公開したりしてインフルエンサー的な露出も増えていきました。
デビューから17年が経ち、妻子もいる37歳になりましたが、ここ数年は活動の幅が広がり再ブレイクしています。
リアリティ・ショー『追光吧!哥哥』(2020年)、『披荆斩棘(Call Me By Fire)シーズン4』(2024年)など人気番組に参加し、今年の5月に放送スタートした古装ドラマ『慶余年 第2季』で演じた南慶皇子役が好評で、俳優としても評価が高まっています。

付辛博はデビュー当時から物憂げというか、自己陶酔的というか、独特の怠惰な雰囲気を感じさせるビジュアルで、そこに惹かれるファンが多かったです。
共演女優と結婚し、子供の存在もオープンにしているいまでも、その独特の気質は健在で、天性のアイドル性は失われていません。

惜しまれるのは、期待されていたドラマ『光淵』が2023年2月にやっと配信されたものの、全30話のうち8話まで配信された時点で配信停止になってしまったことです。
『光淵』は中国の女性作家Priestの小説『黙読』を原作とするドラマです。Priestは有名な耽美小説作家で、ドラマ『鎮魂』の原作小説の作者でもあります。
『黙読』は犯罪心理・耽美小説で、実写ドラマ化には強い期待が寄せられていました。付辛博と張新成のダブル主演というのは意外でしたが、張新成は演技に定評があり、公開された2人のビジュアルのレベルも高かったので、公開されれば二人ともさらに人気が出るだろうと思われました。

もし『光淵』がまともに公開されていたら、付辛博はもっとメジャーな俳優になっていたはずなので、配信停止は本当に惜しまれます。
しかしながら、付辛博はデビューしてからずっと、タレントして「惜しい」とか「もったいない」などと言われ続けていたような気がします。それでも今も中国芸能界の荒浪を乗り越えて生き残っており、しかも上昇気流に乗ってイケメンぶりを発揮しています。
これは中国の人材の豊富さと市場の大きさの反映なのかもしれませんが、『加油!好男児』出身のタレントが活躍し、天性のアイドル性が再発見されていることを嬉しく思います。
2007年7月第4週の「上海電視」
日本や韓国では芸能界の入口として「アイドル」という形態の芸能が確立されていますが、中国ではオーディション番組の機制強化などにより、アイドルを取り巻く環境は厳しくなっています。現役中国アイドルの筆頭人物であった蔡徐坤(ツァイ・シュークン)がスキャンダルにより社会批判を浴びて表舞台から退いたことも影響しています。アイドルは、オンラインに比重を置いたり、バーチャル化したり、地下アイドル化したりして活動が見えにくくなっています。
とはいえ、中国芸能界でアイドルとして成功したケースがないわけではなく、「中国のアイドル」を作り出そうという動きが盛んだった時期もありました。
2000年代には『超級女声』(Super Girls)を初めとするオーディション番組が大流行し、視聴者の人気投票により歌手デビューする「アイドル」が多数生まれました。
多々あるオーディション番組の中でも斬新だったのが、2006年と2007年の2シーズンに渡って放送された『加油!好男児』(上海東方衛視(SMG)制作)です。
他のオーディション番組がデビューを目指して歌唱パフォーマンスを競い合うことをテーマとしていたのに対し、『加油!好男児』は何を競うのか、何を基準に評価するのか明確な指標がありませんでした。番組名からすると、「好男児」を選ぶというコンセプトであったと思われますが、そもそも「好男児」とは具体的にどういう存在なのか?という問いに誰も明確な答えを出せず、「「好男児」とは何なのか皆で一緒に考えていきましょう」と司会者が提案するという、いまでは考えられない大らかな番組でした。
『加油!好男児』では、歌・ダンス・演技などのスキルに対して厳しい要求が課せられず、単なるイケメンコンテンストとどこが違うのだという声もありましたが、天性のアイドル性を持つ男の子が視聴者の投票によってどんどん勝ち進むという現象がみられました。
結果的に、この番組の出場者から多くの人気俳優が生まれました。
2007年(第2シーズン)の優勝者は、現在俳優として第一線で活躍している井柏然(ジン・ボーラン)です。
2位になったのが、喬任梁(チャオ・レンリャン/kimi)、3位が付辛博(フー・シンボー)でした。
井柏然(ジン・ボーラン)は『加油!好男児』参加当時18歳の学生で、爽やかなルックスと歌の上手さで注目を浴び、優勝に至りました。
1989年4月19日生まれ、瀋陽出身の井柏然は、180㎝を超える身長でスタイルがよく、中国北方人特有の色白であっさりと整った顔立ちでした。番組の中では最年少に近く、周りのお兄さんたちに守られていましたが、パフォーマンスでは勝負に強く、ポテンシャルからみて優勝するのも納得でした。
2位に入った喬任梁(チャオ・レンリャン/kimi)は地元・上海出身でコミュ能力が高く、元高跳び選手で学生時代にバンドを組んでいた人気者で、髪は長めでおしゃれが好きというキャラの美形でした。
3位の付辛博(フー・シンボー)は、1987年3月5日生まれ、西安出身、番組参加当時20歳でした。
身長183cm、細身の恵まれたルックスの持ち主ですが、歌、ダンス、演技のいずれにおいても、これといって突出したスキルはなく、顔立ちがすごく華やかだったわけでもありません。ですが、雰囲気がかっこよく、視聴者の女の子たちから強い支持を集め、3位に入りました。
当時20歳だった付辛博は、芸能活動歴があるわけでもなく、芸術系の学校に在籍しているわけでもなく、芸能人になりたいというだけの白紙に近い状態でオーディション番組に参加していました。
それでも人の目に止まり、熱狂的なファンを獲得するというのは、天性のアイドル性があったからです。独特の雰囲気を持つイケメンでした。
付辛博は音楽的にも素人に近い状態ながら、番組審査員である有名音楽プロデューサーに、「君のことをプロデュースしてみたい」と言わしめるほどの何かがありました。
番組終了後、井柏然と付辛博は大手芸能事務所である華誼兄弟と契約し、二人の名前を合わせて命名された「BOBO」(ボボ)というユニットを組んで歌手デビューしました。
「BOBO」としてCDデビューしたのは2007年10月なので、夏に番組が終わってからその熱が冷めやらぬうちにデビューできたといえます。
BOBOデビューCD「光栄」2007年10月発売。左が井柏然(ジン・ボーラン)、右が付辛博(フー・シンボー)。

振り返ってみると、中国で男性アイドルユニットとしてデビューしたのは、後にも先にも「BOBO」だけだったように思います。
男性二人ボーカルのデュオというジャンルのアーティストはいますが、2人組の男性アイドルユニットは珍しいです。
それだけ井柏然と付辛博のポテンシャルが高く買われていたともいえるし、当時は男性2人のアイドルユニットという形式が持つリスクを認識していなかったのかもしれません。
「BOBO」が活動したのは実質2年余りで、2010年にはソロ活動に移行し、2012年には事務所との契約満了により正式に解散しています。
「BOBO」の二人は2010年に公開された『全城熱恋』というオムニバス形式の映画に出演しており、井柏然(ジン・ボーラン)はあるエピソードの主役を務め、相手役ヒロインはバラエティでブレイクする前のアンジェラ・ベイビー(楊穎)でした。
井柏然は派手な顔立ちではありませんが、スタイルがよく清潔感のあるルックスで、演技のセンスがありました。
比較的早い段階で音楽活動を離れて俳優業に専念し、いつの間にか第一線で活躍する映画俳優となっていました。
俳優として認められるきっかけとなったのは、2015年に公開された映画『失孤』です。
『失孤』は2歳のときに連れ去られた息子を十数年に渡って探し続けている中年男性(アンディ・ラウ)と、幼い頃に連れ去りにあった青年(井柏然)が出会い、失われた家族と故郷を探すという中国の幼児誘拐(人身売買)をテーマにした社会派映画です。井柏然はこの作品での演技が高く評価され、若手演技派俳優として認められるようになります。

同じく2015年にはCGファンタジー映画『捉妖記』も公開されます。
『捉妖記』は『失孤』とは違って大衆的な娯楽映画です。井柏然は主役を演じますが、妖怪を妊娠して出産する(口から出産)というチャレンジングな役を演じました。

2018年には台湾女優・歌手であるレネ・リウ(劉若英)の監督作である『僕らの先にある道』(后来的我们/Us And Them)で主役を演じ、この頃には主役級の人気俳優としてのポジションが確立されていました。

恋愛、人間ドラマのほか、映画『風中有朶雨做的云/シャドウプレイ』(2019年公開)、ドラマ『新生』(2024年配信)などクライムサスペンスの出演も多いです。
企業広告の出演も多く、2017年から2021年にかけてはユニクロ中国のイメージキャラクターを務めていました。

「BOBO」の相方であった付辛博(フー・シンボー)も、「BOBO」解散後、やはり俳優活動にシフトしていきます。井柏然のようにすぐに主役級の俳優としてキャリアを積めたわけではありませんが、活動が途絶えたことはなく、ドラマやバラエティにコンスタントに出演しています。
付辛博にとって転機となったのは、2016年に恋愛バラエティ『如果愛 Perhaps Love 第3シーズン』に出演し、恋愛バラエティで共演した女優(穎児)と結婚したことです。結婚から間もなく女の子も生まれ、家族のショットをSNSで公開したりしてインフルエンサー的な露出も増えていきました。
デビューから17年が経ち、妻子もいる37歳になりましたが、ここ数年は活動の幅が広がり再ブレイクしています。
リアリティ・ショー『追光吧!哥哥』(2020年)、『披荆斩棘(Call Me By Fire)シーズン4』(2024年)など人気番組に参加し、今年の5月に放送スタートした古装ドラマ『慶余年 第2季』で演じた南慶皇子役が好評で、俳優としても評価が高まっています。

付辛博はデビュー当時から物憂げというか、自己陶酔的というか、独特の怠惰な雰囲気を感じさせるビジュアルで、そこに惹かれるファンが多かったです。
共演女優と結婚し、子供の存在もオープンにしているいまでも、その独特の気質は健在で、天性のアイドル性は失われていません。

惜しまれるのは、期待されていたドラマ『光淵』が2023年2月にやっと配信されたものの、全30話のうち8話まで配信された時点で配信停止になってしまったことです。
『光淵』は中国の女性作家Priestの小説『黙読』を原作とするドラマです。Priestは有名な耽美小説作家で、ドラマ『鎮魂』の原作小説の作者でもあります。
『黙読』は犯罪心理・耽美小説で、実写ドラマ化には強い期待が寄せられていました。付辛博と張新成のダブル主演というのは意外でしたが、張新成は演技に定評があり、公開された2人のビジュアルのレベルも高かったので、公開されれば二人ともさらに人気が出るだろうと思われました。

もし『光淵』がまともに公開されていたら、付辛博はもっとメジャーな俳優になっていたはずなので、配信停止は本当に惜しまれます。
しかしながら、付辛博はデビューしてからずっと、タレントして「惜しい」とか「もったいない」などと言われ続けていたような気がします。それでも今も中国芸能界の荒浪を乗り越えて生き残っており、しかも上昇気流に乗ってイケメンぶりを発揮しています。
これは中国の人材の豊富さと市場の大きさの反映なのかもしれませんが、『加油!好男児』出身のタレントが活躍し、天性のアイドル性が再発見されていることを嬉しく思います。
2007年7月第4週の「上海電視」
