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戦時下の日本には、数多くの防空壕(ごう)があった。空襲への身近な備えだった一方で、頑丈とはいえな... 戦時下の日本には、数多くの防空壕(ごう)があった。空襲への身近な備えだった一方で、頑丈とはいえない造りのものも少なくなかった。一晩で少なくとも4千人が犠牲になった大阪大空襲から13日で69年。市民が「命綱」とした防空壕の実態をどのように伝えていけばいいのか、という議論が続いている。 平和博物館「大阪国際平和センター」(愛称・ピースおおさか、大阪市)の中に、防空壕の原寸模型がある。戦時中、国の指導で民家の玄関の土間や床下を掘って造られたとされるものを再現し、1991年の開館時から展示されている。 ピースおおさかの入館者の7割は小中学生。空襲の記憶を伝える模型を真剣に見つめる児童や生徒は少なくない。さらに手前に置かれた説明文を読むと、表情は深刻さを増す。《この壕の中に避難することはかえって危険で、多くの人がその中で煙にまかれたり、むし焼きになって死んだ》
2014/03/13 リンク