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小泉純一郎内閣で財務相を務めた塩川正十郎(しおかわ・まさじゅうろう)氏が19日午前10時15分、... 小泉純一郎内閣で財務相を務めた塩川正十郎(しおかわ・まさじゅうろう)氏が19日午前10時15分、肺炎のため大阪市内の病院で死去した。93歳。通夜は23日午後6時、葬儀・告別式は24日正午、大阪府吹田市桃山台5の3の10、公益社千里会館で。喪主は長男、耕士(こうし)氏。 大正10年、大阪府出身。慶応大経済学部卒業後、布施市(現東大阪市)助役などを経て昭和42年に衆院初当選。11回の当選を重ね、文相や運輸相、官房長官、自民党総務会長などを歴任した。 田中角栄、福田赳夫両氏が争い、「角福戦争」と呼ばれた47年の総裁選では、福田陣営の「宣伝部長」として奔走。4年後に発足した福田内閣では官房副長官を務め、ダッカ日航機ハイジャック事故の対応にあたった。 平成13年、79歳で第1次小泉内閣の財務相に就任。「塩(しお)爺(じい)」の愛称で親しまれ、小泉氏とは「打ち合わせもしないのに、同じことを言うてる」と
2015/09/19 リンク