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八甲田山雪中行軍遭難資料館のエントランスにある青森歩兵第5連隊の後藤房之助伍長の銅像。救助隊によ... 八甲田山雪中行軍遭難資料館のエントランスにある青森歩兵第5連隊の後藤房之助伍長の銅像。救助隊によって発見された後藤伍長がきっかけで行軍隊の遭難が発覚した(福田徳行撮影) 日本山岳史上、最悪の遭難事件とされる明治35(1902)年1月の「八甲田山雪中行軍遭難事件」から今年で120年。訓練に参加した210人中199人の犠牲者を出した旧陸軍青森歩兵第5連隊と同時期に、別ルートで行軍し38人全員が生還した弘前歩兵第31連隊がある。長年、同事件を研究しているのが、31連隊の間山仁助伍長の孫で元陸上自衛隊員の間山元喜さん(72)=青森県弘前市=だ。間山さんは「31連隊を検証することで現代にも通じる危機管理、冬山に対する認識の重要性を学ぶことができる」と話す。 映画への違和感間山さんが研究を始めたきっかけは昭和52年公開の映画「八甲田山」だ。そのラストシーンで、31連隊を率いた高倉健演じる福島泰蔵大尉(