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元亀元年6月28日(1570年8月9日)に、現在の滋賀県長浜市野村町付近で行われた合戦のことを、姉川の戦い... 元亀元年6月28日(1570年8月9日)に、現在の滋賀県長浜市野村町付近で行われた合戦のことを、姉川の戦いと呼びます。 「姉川の戦い」という呼称は徳川氏の呼び方で、この戦いについては、参戦した武将によって呼称が異なっています。 織田信長と徳川家康の連合軍と、浅井・朝倉連合軍の戦いですが、姉川の戦いには、徳川家康はもちろんのこと、のちの天下人・木下藤吉郎(豊臣秀吉)も参戦し、このときの調略が成功して出世の階段を登り始めます。 また、名の知れた戦国大名が多数参戦しており、さながら戦国オールスターの戦いの様相を呈しています。 姉川の戦いは織田・徳川連合軍の圧勝と伝わっていますが、3カ月後には、浅井・朝倉連合軍は3万の兵を率いて宇佐山城を攻め(宇佐山城の戦い)ており、その後、信長が行った比叡山延暦寺の焼き討ちも、浅井・朝倉連合軍との戦いの流れのなかで起こったことです。 そして、織田信長に攻められて