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日本ハムなどで監督を務めた大沢啓二(おおさわ・けいじ)氏が7日午前7時25分、胆のうがんのため東... 日本ハムなどで監督を務めた大沢啓二(おおさわ・けいじ)氏が7日午前7時25分、胆のうがんのため東京都内の病院で死去した。78歳。神奈川県出身。葬儀・告別式は未定。 神奈川商工高-立大から1956年に南海(現ソフトバンク)に入団。59年には故杉浦忠投手や野村克也捕手らとともに日本一に輝いた。東京(現ロッテ)に移籍した65年に現役引退。東京でコーチ、2軍監督を経て71年途中に監督に就任した。 76年からは日本ハムの指揮を執り、江夏豊投手らをトレードで獲得するなどチーム改革に取り組み、81年にはリーグ優勝を果たした。面倒見がよく“親分”の愛称で選手から慕われた。 84年にフロント入りしたが、シーズン途中で監督に復帰。85年からフロントに戻り、球団常務を務めた後、93年から2年間指揮を執った。日本プロ野球OBクラブの理事長もこなしたほか、日曜日朝のテレビ番組では「ご意見番」としてプレーぶりなどに“
2010/10/07 リンク