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16世紀からの欧州諸国とアジアとの貿易と交流で繁栄した街並みが残る世界遺産のまち、マラッカ市(マ... 16世紀からの欧州諸国とアジアとの貿易と交流で繁栄した街並みが残る世界遺産のまち、マラッカ市(マレーシア)。その近郊の国道5号線脇に、高さ1メートル半ほどの「一九四五年『九・五』殉難史誌」の碑が置かれ、後ろに石のお墓がひっそりと並んでいます。敗戦後に不当に旧日本軍に殺害された人々のお墓です。 (山沢 猛) 「殉難史誌」には「一九四六年二月十五日 馬六甲(=マラッカ)人民委員会総会」によって建てられたとあります。マラッカの人民委員会は当時の住民のリーダーの組織でした。 マラヤ共産党系の人民抗日軍のメンバーや国民党員も入った、いわば戦後の混乱から復興するための横断的な組織でした。 マラッカを訪ねるたびに、この十数基のお墓の草取りをして追悼をしてきた高嶋伸欣琉球大学名誉教授ら「マレー半島・戦争の傷跡を尋ねる旅」一行は8月13日、犠牲者の一人、林揆義の孫の林少彬(リム・シャオビン)さんと再会しまし