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    Y_Mokko
    Y_Mokko 国家元首も3代目になると

    2024/12/12 リンク

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    sink_kanpf
    sink_kanpf 昭和帝は大元帥の大権を振るう事にカタルシスを感じてた節もあるしなー。その辺煽られたら容易に開戦論に傾倒しそうな人ではあるね

    2024/12/08 リンク

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    bogus-simotukare
    bogus-simotukare 「研究者なのに何でショックなの」感が。この分野の古典、井上清『天皇の戦争責任』の頃から、様々な資料によってある時期から「対米戦不可避」の考えになったことは明らかだと思う。この人が無知なだけでは?。

    2024/12/08 リンク

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    kodebuya1968
    kodebuya1968 「昭和天皇実録」がかなり意図的に平和主義者として記載されている影響かなと。そもそもこの人大元帥ですよ。

    2024/12/08 リンク

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    enemyoffreedom
    enemyoffreedom せめて退位はすべきだったな、とは。まぁ12歳の皇太子に戦後を背負わせるのも酷だけど、年齢ゆえに戦争責任論を引きずることもなかったろうし

    2024/12/08 リンク

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    wackunnpapa
    wackunnpapa 後世の歴史学者がショックを受ける程度には、昭和天皇の「見せたかった自分を見せる」自己演出は後世の目を欺き続けることに成功した、ということでしょう。『昭和天皇拝謁記』といい同時代の記録の発掘が大切。

    2024/12/08 リンク

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    maicou
    maicou 戦後40年以上も生きてどう思ってたんだろなと考えることはある。贖罪の意識はあったんだろう。

    2024/12/08 リンク

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    vox_populi
    vox_populi 「静岡県立大教授の森山優は歴史学者として、日米開戦にいたる過程を研究」「戦前から戦中に侍従長を務めた百武三郎の日記を精査した森山が実感したのは、天皇が41年10月中旬以降開戦に前のめりだったということ」。

    2024/12/08 リンク

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    katamachi
    katamachi 昭和天皇の侍従長の日記「天皇が41年10月中旬以降、これまでの資料で想定されたよりも、開戦に前のめりだった」木戸らが逆に天皇を抑えていた。戦後、天皇は軍部の暴走を止められなかったとするが、41年秋は違った模様

    2024/12/08 リンク

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    mfluder
    mfluder "森山はこれまで当時の為政者らの日記などの史料をつぶさに読み込んできたが、百武の日記の記述には驚きを隠せなかった。「天皇は開戦にもっと慎重だったと思っていたので、ショックを受けた」"

    2024/12/08 リンク

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    bokkou
    bokkou この人は最低でも退位して皇太子に譲るべきだったと思う。皇太子には戦争責任は無いし血筋は維持できるから国民統合のシンボルとしても申し分ない。天皇が責任を負えばアジア諸国に対しても多少の言い訳がたったのに

    2024/12/07 リンク

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    bt-shouichi
    bt-shouichi 開戦直前まで裕仁は戦争回避を願ってたとされがちだが、“百武の日記を精査した森山が実感したのは、天皇が41年10月中旬以降、これまでの資料で想定されたよりも、開戦に前のめりだったということだ。”

    2024/12/07 リンク

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    ko_kanagawa
    ko_kanagawa 天皇家は維持しても良かったし必要性あったとは思うけど、こいつは単に裁かれるべきだっただろうとも思う。まあ現実それは無理だっただろうけどね

    2024/12/07 リンク

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    emiladamas
    emiladamas そんな根拠レスにそんなことを言われても、君主制を維持するだけで体制を維持できるなら苦労はない "終戦後に国体が維持されてなかったら内戦続きか軍事国家になってた"

    2024/12/07 リンク

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    baikoku_sensei
    baikoku_sensei やっぱ死刑にすべきだったよな

    2024/12/07 リンク

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    homarara
    homarara 開戦に傾斜したかどうかなんて知らんけど、天皇の名の下に召集され天皇の名を叫んで死んで行った兵士達を顧みずに生き残った図太さには感心する。股肱の臣下達は敵国に裁判にかけられて処刑されてるってのに。

    2024/12/07 リンク

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    ToTheEndOfTime
    ToTheEndOfTime 終戦後に国体が維持されてなかったら内戦続きか軍事国家になってたと思いますよ。アジアの他の国を見渡してくださいと。

    2024/12/07 リンク

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    kaos2009
    kaos2009 “しかし百武の日記を精査した森山が実感したのは、天皇が41年10月中旬以降、これまでの資料で想定されたよりも、開戦に前のめりだったということだ。”

    2024/12/07 リンク

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    ko2inte8cu
    ko2inte8cu 昭和天皇の本心は謎。二二六、真珠湾、東京大空襲、ポツダム宣言受諾と、それぞれの場面で全く態度が違う。要するに、祭り上げられて、補佐もなく、孤独である。なお、イタリアは戦後、国民投票で王政廃止。

    2024/12/07 リンク

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    wnd_x
    wnd_x リーダーが決断するのは構わないが、結果の責任はとらんとな。この人は退位して刑に服すか自死すべきだった

    2024/12/07 リンク

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    cinefuk
    cinefuk "10月9日には皇族軍人の伏見宮が対米開戦やむなしとする「主戦論」を唱えたのに対して議論となり、百武の日記に「やや紅潮ご昂奮あらせらるる様拝す」と記された。しかし百武の日記を精査した森山が実感したのは"

    2024/12/07 リンク

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