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プラクティカルなことを言語化するのはすごくむずかしい。でもしてる。すごい。 修業には書き方が二つあ... プラクティカルなことを言語化するのはすごくむずかしい。でもしてる。すごい。 修業には書き方が二つあって、修業(カルマのほう)と修行(doのほう)があります。武道だと do のほうをとる記述も多く目にしますが、この本ではカルマのほうで統一されています。 この本を読んでいたら、ヨーガの武道と似ているところ、そうでないところが見えてきました。それは端的にいうと、「生きる技術としての修業」と「輪廻から抜けるための修行」の違い。武術とヨーガは「プラクティカルであること」までは一緒なのだけど、それが己の敵を己の中に認めることに加えて、「お願いなので、肉体を持って生きるのは今生(こんじょう)で最後にしていただけませんかね」と神に祈りながら浄化(do)する。生きることをある意味認めていないところがある。そういう微妙な違いを思いながら読むのがおもしろかったです。 11世紀以降のインドのハタ・ヨーガと日本の武