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    despair0906
    despair0906 “第24師団の兵士は戦後、「一番先にぶつかった“敵”は、米軍ではなくて、沖縄のレプラ患者だった」(「北海タイムス」1964年5月3日)と語った”

    2015/09/27 リンク

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    blueribbon
    blueribbon 「軍や政府・園当局は極限状態に陥るずっと前から、患者を守るつもりはなかったし、患者が飢えて死ぬことも構わなかった。自分たちが手をかけずに死んでくれればむしろ幸い、くらいの感覚でいたとしか思えない…」

    2015/09/03 リンク

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    haruhiwai18
    haruhiwai18 "末梢神経が麻痺した患者にとって壕掘りは過酷な作業です。受傷に気づくのが遅れ、傷口が化膿して骨まで傷めたために、指や手足を早田によって切断される者もいました。" →戦後沖縄の例についてはhttp://bit.ly/1LNiVIz

    2015/08/31 リンク

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    mfluder
    mfluder "幾重にも複雑に交差する被害の諸相と、また別の角度から見えてくる加害の実態を、単純化せずに伝える努力が私たちには求められます"

    2015/08/28 リンク

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    ncc1701
    ncc1701 ナチスの強制収容所と違って、ハンセン病患者には終戦後も「解放者」は現れなかったんだよなあ。

    2015/08/27 リンク

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    antonian
    antonian 沖縄戦時下における日本軍によるハンセン氏病患者の扱い。

    2015/08/27 リンク

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    njamota
    njamota なぜハンセン病患者は差別されたのか、その核心は未だに隠されていると思う。同じ人間なら昔の人の忌避する心を私も持っているはずで、それを暴かずに話だけ聞いて差別反対と言っても、先々への対策として有効か。

    2015/08/27 リンク

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    K416
    K416 うーん。

    2015/08/27 リンク

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    katamachi
    katamachi 沖縄戦の後のハンセン病施設責任者の言葉。「ぼくは救ライに大きな功績を残した、なぜかというと、救ライということはライを撲滅させることだから、患者を一人でも多く殺すことは救ライにつながっているんだと」

    2015/08/27 リンク

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    egamiday2009
    egamiday2009 「戦時体制が弱者の上にどのように構築され、どのように切り捨てられ殺されていくのか」

    2015/08/27 リンク

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    BUNTEN
    BUNTEN 日本における「収容所」社会。ナチスと対象が違っただけのように感じる。

    2015/08/27 リンク

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    Baatarism
    Baatarism 戦後の「アメリカ世」でのハンセン病患者についても、読んでみたいです。

    2015/08/27 リンク

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