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〈一〉 先日、当ログで連日続いてきた釜ヶ崎暴動に言及した。すると次のようなコメントが寄せられた。 ... 〈一〉 先日、当ログで連日続いてきた釜ヶ崎暴動に言及した。すると次のようなコメントが寄せられた。 どんな理由や理想があっても、暴力に頼れば社会から「悪」と看做される。 それならばあえていう。我々は時に「悪」の烙印を引き受けなければならない。 それならばあえて問う。「暴力」とは何であるのか。 そもそも、警察による私刑の執行への反撃を「暴力」として審判することは、力のありようを「暴力」と「非暴力」とに、つまり二元のものとして切断することにほかならない。では、「暴力」から切り離された「非暴力」とはいったい何であるのか。単に、力を行使しないことが「非暴力」なのか。違う。「非暴力」もまた「暴力」同様、ある力の行使にほかならない。力とは「暴力」であり「非暴力」である。それは人が立つ位置によって変位するものである。西成署からすれば、暴動は即ち「暴力」であるだろう。しかし暴動主体にしてみれば、「暴力」も「
2008/06/21 リンク