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たとえ「偽善」や「綺麗事」であったとしても、殺人を悪とする倫理は昔から多くの社会で受容されてきた... たとえ「偽善」や「綺麗事」であったとしても、殺人を悪とする倫理は昔から多くの社会で受容されてきたものであり、「人間の真実」の一部ではないのか? そのことを「本当のこと」から排除するロジカルな根拠などあるのか? 「「偽善」も「綺麗事」も「本当のこと」」 ぼくは「殺人を悪とする倫理」が「人間の真実」の一部であると認めます。ぼくは「「殺人は絶対悪」なんていえないことは明らかです」と書いていますが、「殺人を悪とする倫理」を全面否定するつもりはありません。それは絶対的真実ではないと思いますが、現在、立派に通用する社会的通念ではあるでしょう。 でも、逆にいえばそれは「人間の真実」の全部ではないわけで、それ「だけ」ではぼくは納得し切れません。ぼくはぼく自身の「納得」を求めているわけですから、その意味で「本当のこと」という表現は適切ではなかったかもしれません。 ただ、ぼくは「本当のことを知りたくありません