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坂信弥は結構色んな逸話のある人で、まず鹿児島県警部長だった1936年に鹿屋基地航空隊用に慰安所を設置... 坂信弥は結構色んな逸話のある人で、まず鹿児島県警部長だった1936年に鹿屋基地航空隊用に慰安所を設置しています(おそらく当時は「慰安所」とは呼んでなかったと思いますが)。このとき坂は、町長を通じ業者集めをしています*1。 その後、東京大空襲(1945/3/10)の時は警視総監でしたが、防空法の影響で多くの人が逃げずに消火しようとして焼け死んだことに対して、避難を優先するように求める声が上がります*2。しかし、坂警視総監は戦中は特に行動せず、戦後になってから「防火を放棄して逃げてくれればあれほどの死人は出なかっただろうに、長い間の防空訓練がかえってわざわいとなったのだ」と他人事のように述べています。 坂が最初に警視総監であった期間は1944年7月から1945年4月のわずかな期間ですが、東京大空襲の影響があるのかもしれません。しかし、坂のあとに町村金五は宮城事件で1945年8月に辞任し、再び坂
2015/03/14 リンク