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県内のボクシングの聖地といえば、那覇市の奥武山体育館だろう。1970~80年代にかけ、日本タイト... 県内のボクシングの聖地といえば、那覇市の奥武山体育館だろう。1970~80年代にかけ、日本タイトル戦はもちろん、世界戦も3度行われ、立ち見客も出るなど、ファンは県勢の闘志に熱狂した ▼初の世界戦は75年12月。WBCジュニアフライ級2位の島袋武信選手が挑戦し敗れた。2度目は77年5月、WBAフェザー級6位のフリッパー上原選手で“戴冠”はかなわなかった ▼唯一の勝利は84年8月。当時、日本ボクシングコミッション未公認ながらIBFの日本人初代王者となったバンタム級の新垣諭選手が初防衛に成功。地元で勝てない県勢のジンクスを打ち破った ▼場所は具志川市(当時)だが、81年3月の具志堅用高選手のタイトル戦は多くの人の脳裏に残る。14回に伸ばした防衛戦。ファン待望の初の地元開催は、猛打を浴び続ける王者を呆然と見詰める結果となった ▼敗戦は衝撃だったが、県勢初の世界王者は先輩、後輩問わず目標となり道をつ