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自宅から徒歩数分と近いところに時宗の本福寺というお寺がある。毎年元日の早朝零時半ごろ参拝し、除夜... 自宅から徒歩数分と近いところに時宗の本福寺というお寺がある。毎年元日の早朝零時半ごろ参拝し、除夜の鐘を撞き、お酒や菓子を戴くのが恒例になっている。 この本福寺は、幕末の長州藩士で東北遊学の為脱藩した吉田松陰が嘉永4年(1851)12月に立ち寄り一泊した寺として知られている。このことは後日記したい。 天狗党と松戸に関係して以下、「改訂新版・松戸の歴史案内」(松下邦夫著・昭和57年発行)P166~167」から引用します。 「幕末の世情はいわゆる佐幕派と尊王攘夷派との、お互いに譲らない両派の主義主張によって、大きく混乱しました。とくに水戸街道筋にあった松戸宿と小金町は、過激な水戸藩士や藩民たちの行動によって、地域住民は大きな不安の中へ落とし入れられました。 …(中略)… そして元治元年(1864)3月に、藤田小四郎ら尊攘派天狗党が筑波山に兵を挙げるのですが、武田耕雲斎は小金に数千の同志と共に陣を