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2011年に福島県南相馬市から脱出した「原発難民」を再訪する報告の4人目を書く。木幡竜一さん(49)は、... 2011年に福島県南相馬市から脱出した「原発難民」を再訪する報告の4人目を書く。木幡竜一さん(49)は、私が震災直後に南相馬市に入って最初に取材した1人だ(「どこへ行っても、結局地元とは違うんだよ」~「原発難民」になった人たち(その1))。 山形県米沢市に避難した木幡さんは、物資輸送が絶えて孤立した故郷に食糧や水など支援物資をトラックに積んで運んでいた。私と会ったのも、そうして南相馬市に戻っていた時だった。その話を聞いて、私は国の政策の不条理さに心を痛めた。経営している土木建築会社の事務所と車両・資材置き場が、ちょうど原発から20キロラインの内側にぎりぎりで入ってしまったのだ。官僚が地図の上に引いた線のせいで、自分の会社に入れなくなり、生活の手段も断たれた。その政策の愚かさがずっと忘れられなかった。私は米沢市の小さなビジネスホテルの一室で避難生活を送る木幡さんを訪ねたり、その動向を取材して
2013/09/05 リンク