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那覇軍港から泊近辺に至るこの一帯は、基底部分こそ琉球石灰岩基底面に属し堅強なるものの、その上には... 那覇軍港から泊近辺に至るこの一帯は、基底部分こそ琉球石灰岩基底面に属し堅強なるものの、その上には軟弱な粘土を主体としている沖積層が厚く堆積しており、現在も地盤沈下が危惧される地域である[6]。また、海抜は低く、縄文時代の縄文海進期(約6000年前)に於いては海面下にあったと見られ、出土した化石や堆積物からもこれをうかがい知ることができる。海面自体は約1000年前からほぼ変化がないとされるが、その時点ではこの一帯は入江状の地形に大小の島が浮かんでいると言った状態であった。地形図によれば1700年頃の辻と周辺地域は比較的大きな島を形成していたと見られる。マシュー・ペリーの残した1853年の測量図では、東シナ海と漫湖を隔てるような島が描かれている。これ以降の時期に漫湖をはじめとする内海の本格的な埋め立てが始まったとされる[7]。 昭和初期の辻 元々は一面の荒野であったが、1672年、琉球王国の摂