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埼玉県に生まれる[2]。埼玉県立川越高等学校の音楽部に所属して男声合唱を行うかたわら、ピアノ伴奏を務... 埼玉県に生まれる[2]。埼玉県立川越高等学校の音楽部に所属して男声合唱を行うかたわら、ピアノ伴奏を務めていた。音楽部の顧問として、第31回(1964年)NHK全国学校音楽コンクール全国優勝、第32回(1965年)準優勝、結果1964年から1968年に同NHKコンクール5年連続全国大会出場(当時は全国で10校のみ)の成績を残した名物教諭で、東京音楽学校(現:東京芸術大学)作曲科卒の経歴を持つ牧野統に、ピアノと作曲を師事した。 高校3年生在学中に処女作として、サトウハチロー作詞「おかあさん」に曲をつけた男声合唱組曲を書き上げ、1970年秋に同校音楽部の第20回定期演奏会にて披露した。自ら演奏したピアノ伴奏に将来性が高く感じ取られ、好評であったという。 その後東京芸術大学に入学、同大学院作曲研究科を修了。在学中島岡譲、矢代秋雄、間宮芳生、野田暉行に作曲を、丸山徹薫、クロイツァー豊子にピアノを師事
2010/08/21 リンク