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新宿で生地問屋「船越商店」を開いた呉服商・船越栄一の次男として誕生し、四谷第五小学校から帝京中学... 新宿で生地問屋「船越商店」を開いた呉服商・船越栄一の次男として誕生し、四谷第五小学校から帝京中学校に入学する。当初は美術学校か写真学校への進学を希望するが、父の勧めで1941年(昭和16年)には専修大学経済学部に入学し1944年(昭和19年)に学徒出陣で繰り上げ卒業する。香川県三豊郡豊浜町(現・観音寺市)の陸軍船舶学校に入り、翌年の8月に見習士官として終戦を迎えた後、父の勧めで地元新宿に写真屋を開いた。 1947年(昭和22年)、船越の兄の友人が冷やかし半分で大映第2期ニューフェイス募集に応募書類を送り、合格する。同年3月、大映東京撮影所演技研究所に通い、4月には大映と専属契約を結ぶと『第二の抱擁』で折原啓子の恋人役としてデビューする。本人は乗り気ではなかったが、地元の新宿商店街に後援会まで発足したため引っ込みがつかなくなったまま俳優業に臨んでいた。当時を知る映画関係者によると船越はあまり