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今回、『昭和陸軍全史1 満州事変』(講談社現代新書)で取り上げた永田鉄山は陸軍統制派の指導者として... 今回、『昭和陸軍全史1 満州事変』(講談社現代新書)で取り上げた永田鉄山は陸軍統制派の指導者として、石原莞爾は満州事変の首謀者として、よく知られている。永田は1884年(明治17年)生まれ、石原は1889年(明治22年)生まれで、5歳の年齢差がある。 二人はともに、1929年(昭和4年)に結成された陸軍中堅少壮幕僚のグループ「一夕会」の会員だった。 満州事変当時、永田は陸軍省軍事課長、石原は関東軍作戦参謀。関東軍参謀として石原が現地で満州事変を推進し、永田は陸軍中央の一夕会系幕僚とともに、石原ら関東軍の動きを支援した。満州事変期の二人の関係はそのようなものだった。 そして、永田と石原は、ともに満州事変以後の陸軍で大きな影響力をもつようになる。ただし、石原が実際に陸軍中央で重要な役割を果たすようになるのは、1936年(昭和11年)の二・二六事件後である。永田はすでに皇道派と統制派の抗争激化の
2014/09/02 リンク