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しばらく間が空いた。で、反知性主義についての簡単なお勉強を経て、ぼくが手に取ったのは『日本の反知... しばらく間が空いた。で、反知性主義についての簡単なお勉強を経て、ぼくが手に取ったのは『日本の反知性主義』だった。 この本の題名は、明らかに『アメリカの反知性主義』を意識しているようだ。その一方で、この面子を見ると、ぼくが冒頭に挙げた『現代思想』の執筆者と重なるようであり、「反知性主義」を「バーカ」の意味で使う連中の集団のようにも思える。で、どうなのよ? それがぼくの興味だった。が、その前に…… 「反知性主義」をちがう意味で使ってはいけないの? まず、そもそも「反知性主義」を「バーカ」の意味で使ってはいかんのか? ぼくはそうは思っていない。ぜんぜん構わないと思う。ただ、その場合にはホフスタッターとかを引き合いに出してはいけない。まるで意味がちがうからだ。 なぜか? ホフスタッターの本は、名著とはいえ決してだれでも知っているメジャーな本ではない。ぼくはたまたま、漠然とホフスタッター的な意味合い