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鈴木大拙は大乗を情の仏教で上座部を理の仏教だみたいに書いてたけどまさにそれ。 でも上座部の立場から... 鈴木大拙は大乗を情の仏教で上座部を理の仏教だみたいに書いてたけどまさにそれ。 でも上座部の立場から言わせれば、情でどうするんだと。 なんとなく寄り添って、肩入れして、励まして、あとはお経を唱えるだけで阿弥陀様が救ってくれるからねとかいって、それで解決するのかと。 ちゃんと仏法を説いて、理屈で説明して、実践手段を与えて、やらせて、指導して、時に「だらしねえぞ」としばいて、頑張らせる、当人が頑張るのが仏教でしょうと。 時代が違うから、救済宗教としての大乗仏教の需要がなくなっているのは仕方がない。 もともとの仏教は、個人が出家して修行したり知識を得たり戒律を守ったりすることで救われるという宗教だった。そういう自助によって救われるというのは現代の目から見ると納得感があるけど、古代や中世の時代にはそうとも言えない。 古代や中世では庶民は生きるだけで精一杯。戒律を守っている余裕なんかないし、そもそも識
2021/01/31 リンク