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たとえ話は、一見すると分かりやすい。 しかし、多くの場合、議論におけるたとえ話は、欺瞞をはらんでい... たとえ話は、一見すると分かりやすい。 しかし、多くの場合、議論におけるたとえ話は、欺瞞をはらんでいたり、議論を拡散・混乱させる効果しかない。 例えば、「AはBであるか否か」の議論をしていたとしよう。 ここで、「AはBである」という論者が、Cのたとえ話をするとき、そこには、 ①AはCにたとえられる(A≒C) ②CはBである ③①及び②ゆえにAはBである という論理が背後にあるはずである。 大抵の場合、たとえ話においては、②については異論がでにくいようなCが設定されるので、問題は①である。 (ときどき、②すらあやしいたとえ話もあるが、それは措く。) 多くの場合において、①A≒Cと言えるかどうかは議論の余地があり、たとえ話によって結局、議論が拡散してしまうのである。 そもそも、①及び②が当然に認められるなら、「AはBである」ということにほとんど疑いはなく、「AはBであるか否か」ということが議論に
2016/10/02 リンク