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上にある写真には、「大正9年5月24日午後12時 忘ルナ」と書かれています。 何があったのか。 日... 上にある写真には、「大正9年5月24日午後12時 忘ルナ」と書かれています。 何があったのか。 日本人として、絶対に忘れてならない歴史がここにある。 今日は、そのことを書いてみたいと思います。 これが書かれたのは、いまではロシアの「ニコライエフスク」となっている街です。 ニコライエフスクは、Chinaの黒龍江(アムール川)の河口から20キロの地点にある街で、ロシアの太平洋側、樺太の北端に近いところにあります。 昔はここはロシアやソ連ではなく、China女真族(満州族)の土地で、清朝政府が漢民族ではなく、漢民族(Chinese)からみた蕃族の一部である女真族、つまり清朝政府の聖地となっていた土地です。 ここには、大正9(1920)年当時、日本人700名を含む1万7千人あまりが住んでいました。 内訳は次の通りです。 日本居留民 約 700名 白系ロシア人約1万5000名 中国人 約