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日本の結核の歴史と熊谷岱蔵先生 岡山 博 仙台赤十字病院 呼吸器内科 はじめに 明治維新後、富国... 日本の結核の歴史と熊谷岱蔵先生 岡山 博 仙台赤十字病院 呼吸器内科 はじめに 明治維新後、富国強兵、殖産興業政策のもと、製糸・紡績工場の劣悪な労働環境の中で先ず女工に結核は拡大し、男は人権が存在しない日本的軍隊生活の中で拡大した。 貧しい農村が女工と兵隊の供給地であったが、結核を発病して役に立たなくなった女工と兵士の廃棄場になり、結核は拡大し続けて都市だけでなく農村にも蔓延した。 太平洋戦争直前の昭和16年、第一内科教授熊谷岱蔵教授が初代所長として東北大学抗酸菌病院が作られた。 敗戦後は、戦後占領軍による結核の科学的対策と、社会の民主化、労働条件改善、抗結核薬開発により、結核は激減し、現在は当時の1%以下にまで減少した。 庶民にとって、明治以降太平洋戦争敗戦までの日本は戦争と結核の歴史と考えることさえ可能である。 日本の結核の歴史を、東北大学第一内科と抗酸菌病研究所を率いた熊谷泰造先