蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

横須賀美術館へ行ってきた

レンタカーを借りて友だちと横須賀美術館へ行ってきた。

美術館日和のいい天気だった(曇天)。

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クルマを運転するのは一年ぶりで、都内のレンタカー屋から環八に出て高速道路に乗るまでは背中に汗を掻くほど緊張した。我ながら危険運転だと自負しているので細心の注意を要する。脳内には常に「申し訳ありません」の言葉が浮かんでおり道路標識もまともに目に入らない。これだから運転適性検査で最底辺だったのだ。

でも運転は久しぶりくらいの方が丁度いいのかもしれない。油断すると事故るから。

道に迷ったりカーナビの音声が小さすぎたりさまざまな障害はあったものの、友人の助けもあって無事に神奈川県の横須賀へ到着できた。

 

横須賀と言えば海軍。ネイビーの街だ。高速を降りると港湾に停泊している巡洋艦が見える。

名物は海軍カレーとネイビーバーガーで、昼食はどちらにするか迷ったが、調べてみるとどちらも食べられる店が多いらしく、特に気にすることもなく有名店へ行ってみた。私はハンバーガーを、友人はカレーを食べた。

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全然上手に撮れなかったけど、ハンバーガーは美味しかった。

クォーターサイズで注文したのだがそれでもそれなりの大きさで食べ応えがあった。デカくて食べ応えのある肉って本当に嬉しい。種なしぶどうと同じくらい嬉しい。

付け合わせのフライドポテトが何気に絶品で、外はサクッと、中はホクッと、お手本のような出来栄えである。ハンバーガーは美味しくてもポテトが駄作だと全体的な出来栄えも下がるのでポテトは手を抜けない要素、サブ主人公だ。

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tabelog.com

 

食後に横須賀美術館へ向かうため、雨の海岸線を南へ下る。

小学校の頃からの莫逆の友なので、もう特別なにか話すことなんて無いのだけど、たとえ久しぶりに会ったとしても「昔話」ばかりするのではなくて「今の話」を多くできるのは、時間の止まっていない友人関係なのだなと思える。

仕事をやめることや、仕事にありつけないことや、妻のことや、恋人のことや、音楽のことや、漫画のことなど思いつくままに喋ったり、黙ったりする。心を乱すことなく平常心で付き合える友だちがいるのは幸運だ。沈黙になっても気まずさがない。

20分ほど走らせて美術館へ到着。平日なのに意外にも混雑している。

目当ては運慶の企画展だ。

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もともと運慶には造詣が深くて奈良や鎌倉に点在する寺院を巡っては仏像を拝ませてもらっていた、というわけではなく、ほんとうによくわからないままなんとなく来た。

でも東大寺南大門の「金剛力士像」は修学旅行の時に見て以来、特別な感情を持っていて、いずれは仏像を勉強して深く鑑賞したいものだとかれこれ15年くらいは思い続けていたのだった。その15年の蓄積のあったのちの、まずは行動としての第一歩が今回の横須賀美術館への遠征だったと言えるだろう。

毘沙門天がなんなのか、不動明王がどういった役割なのかは知らないのだが、とにかくその彫刻の凄味は伝わってくる。筋肉の盛り上がる表情、甲冑の滑らかに磨かれた硬質さ、衣の流れるかのようなはためき具合、そのひとつひとつの描写と動きに説得力があって、実際にその瞬間を切り抜いたかのような写実性がある。持っている神具(仏具?)や文様の意味など知識があればさらに楽しめただろう。やはり勉強すべきなのだ。

展覧会期間の終了間近ということもあっていくつかの仏像は元の寺へ戻されており、展示スペースに「おことわり」としてあった張り紙には『~~像は元の○○寺へお戻りになられました』と書いてあった。

この『お戻りになられました』の言葉遣いがひじょうによかった。

まるで仏像が自発的に帰宅してしまったかのような書き方である。

像とは言え神さまを象った現世の具現、単なる「物」としての美術品の扱いではないという展覧会主催者の意図を汲める。

日本語を習いたての外国人が見たら「?」を浮かべるに違いない言葉の遣い方だろう。どうしてこのように書いてしまうのかその背景をたったこれだけの言葉から読み取れるのだから、言葉って素敵だ。友人は「すごくリスペクトを感じる」と言った。そのとおりだと思った。

私たちは拝見させていただいている身分に過ぎないのである。お戻りになられたのならもう仕方がない。またの御縁を待つほかない。

 

横須賀美術館は建築それ自体もおもしろくて、展示の順路が美術館の下へおりていく格好となっている。しかし閉塞感はなく、むしろ高い天井と降り注ぐ光に安堵すら覚えた。

屋上からは東京湾が見渡せて、対岸の千葉県富津岬も天気が良ければクリアに見えるらしい。海風が鼻腔をくすぐり、海の街で育った私はその香りにリラックスする。背中の筋肉がやわらかく伸びて、肺の奥まで酸素がめぐる。

波の音が聞こえる良い美術館だった。

 

久しぶりの小旅行気分で充実した一日を過ごせた。

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