蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

ハリー・ポッター全部読み終わった感想

ハリー・ポッターの映画は観たけど(賢者の石〜炎のゴブレットまでは何回も観た)、小説は読んだことがなかったので、世界中でこんなに読まれてるしな〜と思って、今年の初めくらいから読みはじめた。

なにぶん長い小説だから時間かかるだろうな〜と思っていたけど、『アズカバンの囚人』以降は読書スピードが上がり、10月から11月末までの2か月で最後の『死の秘宝』まで読了した。

読書履歴はこんな感じだ。

 1月中 賢者の石

 5月中 秘密の部屋

 10月中 アズカバンの囚人、炎のゴブレット

 11月中 不死鳥の騎士団、謎のプリンス、死の秘宝

『アズカバンの囚人』以降が面白かったのだということがこの読書履歴からわかる。

めちゃくちゃおもしろかった。単純に。シンプルに。

以下は箇条書きで全体的な感想を書く。

ネタバレめちゃくちゃあるので気をつけて。

 

・賢者の石、秘密の部屋あたりって映画は原作にけっこう忠実だったんだな。逆に炎のゴブレット以降、映画は端折りすぎ。

・賢者の石、秘密の部屋読んでたときは一冊が長いなって辟易してたけど、炎のゴブレット以降は倍量になるし、長さを苦に思わなくなった。『死の秘宝』に関しては3日で読んだ。短いとすら思った。

・映画版は魔法ファンタジーバトルの印象だったけど、小説は魔法ファンタジーサスペンスミステリーってかんじだった。さまざまな謎があり、推理や時間の動き、論理的なつながりで謎が解明されていく。魔法だからなんでもありなんじゃなくて、きちんと論理的な筋道が立っているし、魔法にだってかなり多くの制約はある。

・伏線の回収が凄すぎる。物語に出てきたほとんどすべてのものが何かの役に立ったり、混乱を引き起こしたり、それぞれに活躍する場を与えられている。作者の脳内どうなってんの?時空超えてない?

・賢者の石から謎のプリンスまでほぼ毎回ホグワーツの外観を説明するときに、門の上に佇む翼の生えたイノシシの石像が出てきたのだけど(ほんとうにただの石像)、『死の秘宝』でそれが出てこなくて、あ、もうホグワーツの話ではないんだな、と思った。あんなものがこんな効果を生むとは。ちょっと寂しかったな。

・なんでイノシシに翼が生えているのかその伏線は特になかった。

・いちばん好きな話は『謎のプリンス』だった。暗雲立ち込める終盤の話だけど、みんなが恋をしたり、クィディッチがあったり、ヴォルデモートの過去がわかってきたり、自分好みの展開が多くて好きだった。青春しつつ、ダークな雰囲気もありつつで、いまや懐かしい『賢者の石』や『秘密の部屋』あたりの楽しかった雰囲気を思い出したからかもしれない。

・逆にいちばん読むのがきつかったのが『不死鳥の騎士団』。アンブリッジもアレだけど、ハリーがかなり厄介な性格になってるし、ハーマイオニーは空気読めないし、ロンは勘所が悪くて読んでてムカつくことばかりだった。シリウスもめんどかったな〜。あとなによりも、クリーチャーがしんどかった。全作を通して最も閉塞的な一冊とすら思う。

・でも神秘部の描写は好き。神秘部って映画で見たときはなんなの?って思ってたけど、ほんとうに神秘を管理するところだったとはね。

・『炎のゴブレット』のクラウチ氏の末路、映画と違いすぎ。結構残酷できつい内容だったから?尺の問題?ヴォルデモート陣営の残虐さを象徴する話だったと思うんだけどな。でも、ドラゴンとの対決は映画のほうが良さそう。

・映画でも思ったけど、『炎のゴブレット』ってタイトルでいいの??『トライウィザード・トーナメント』とか『闇の印』とかのほうが合ってない?って気がする。

・『アズカバンの囚人』は映画の出来がかなりよかったけど、それって原作の出来がかなりよかったからなんだ。時空の交錯するホグワーツ・ミステリーとしても、魔法学園ものとしても傑作の部類。

・ドビー、ね。原作だとめちゃくちゃ活躍するね。ドビーが一番好きなキャラ。愛しい。

・屋敷しもべ妖精、不憫で哀れででも同情の余地もないような感じもして、存在の秀逸さと描写の絶妙さにうなる。うーん。すごいキャラクター設計だ。憎めないのに憎たらしい。

・そんで、屋敷しもべ妖精、めちゃくちゃ原作では大事なキャラだった。映画だとほぼ出てこないから・・・。CGがお金かかるのだろうな。

・いやほんと屋敷しもべ妖精好きなんだよ。友達になりたいもン。

・『死の秘宝』読んでクリーチャーも好きになったし、『死の秘宝』でようやくハリーのことも好きになれた。

・ハリーの成長って、使える魔法とか魔力の話もそうなんだけど、何よりも内面なのかなって思う。反抗期もあったけど、苦難を乗り越えるごとに自分の過ちを認めたり、誰かを許すことができたりしてさ。立派だよほんと。だからクリーチャーを哀れに思い、赦し、ステーキ・パイを準備してくれているはずのクリーチャーに胸を痛めるハリーが好きだった。

・ドビーが死んでしまったとき、ダンブルドアやシリウスが亡くなったときと同じくらいにハリーが心を痛めていて、それも印象的だった。魔法を使わずに墓穴を掘るところ、みんなで埋葬するところは作中でも屈指の好きなシーン。それによってほんとうの「閉心術」を身につけるのもいい話。悲しいけど。

・あとこれは地味なハリー・ポッターあるあるなんですけど、出てくる動物たち、耳の裏をカリカリ撫でられがち。

・ハグリッドのつくる「ロックケーキ」って聞いたことなくて調べてみたら、スコーンみたいなお菓子らしい。簡単そうなので今度作ってみよう。

・ハリポタグルメといえばなんといってもバタービール。映画でよく見るジョッキよりも、小説では瓶で飲むシーンの方が多かった。バタービール飲んでみたいな。でもどちらかというと、かぼちゃジュースのほうが飲んでみたい。味の想像がまったくつかない。

・当たり前かもしれないけど、原作のほうが作品世界の奥行きが深くて、作者は一体どれだけの背景を考えていたのだろうかとゾッとする。表に出てない設定が山のようにあるんだろうな。

・好きなキャラの話に戻るけど、ルーナ、可愛いよね。

・あと、ジニーもいい。男遊びが激しいタイプだけど、そのおかげもあってか、兄弟の誰よりも勝気でハリーをぐいぐい引っ張っていくのが素敵。作者の考える、ハリーのヒロインはこうだったんだな、ってのが見えてくるようなキャラクターだ。決して守られる女の子ではないんだよ。

・ハリー、ロン、ハーマイオニーは『炎のゴブレット』くらいからほとんどずっと喧嘩をしていて、それもすごい。どんだけ衝突してもお互いのことを心配していて。いい友達だよほんと。

・好きなシーン。最後の9と4分の3番線のシーン。「スリザリンが君を獲得したんだ」のハリーのセリフ。大人になったねぇ・・・。

・好きなシーン、というか文章表現。試験がすべて終わって生徒が開放感に背を伸ばしているところで次のような文章がある。

「湖に漂う大イカをずっと眺めていたい気分だった」

テストから解放された気持ちをこんなふうに表現するのを初めて見た。

・大イカがなんで湖にいるんだよ。

・ハーマイオニー、良い子キャラで知的で面倒臭いんだけど、彼女の言っていることは正しくて、答え合わせではかならず正解するんだよな。それもすごいけど、それって常識の範囲内のことだから、最後の常識を逸したヴォルデモートとの対決ではハーマイオニーだけでは太刀打ちできなかっただろうな。3人がそれぞれ違いを持っていて、かつ支え合うことができたから掴みえた勝利。3人ともが分霊箱を破壊するのもよかった。

・やばい、まだまだ書きたいことがいっぱいあるのにけっこうもう書いているな。これくらいにしとくか?

・最後にこれだけ。作中出てくるキャラクターって、みんなキャラクターの属性を持っていて、役割を全うしようとしているんだけど、けっこうな頻度でブレたり挫けたりする。実は面倒臭い性格だったり、後ろめたい過去や、もやもやする背景を抱えていたりする。傷つくことを言ってしまったり。この人の全部を好きになろう、なんてキャラクターはいないように思う。で、それって、現実世界も同じなんだよね。

・作者はキャラクターと向き合って、キャラクターから逃げずに、キャラクターを描写している。それは自分からも逃げないということだ。だってさ、キャラクターに余計な背景をつけるのは面倒くさかったりするじゃないですか。それに、自分の中からそういうマイナスな側面を出してこなくちゃならない。

・作者は誰よりも戦っていた。そう思った。

歯医者の押し付けがましい白さ

たぶん15年ぶりくらいに歯医者に行った。

近所の歯医者は雑居ビルの階段を登ったところにある。階段からすでに歯医者特有の清潔で磨かれたつるつるした床のニオイと鼻の奥に刺さってくるような水のニオイが漂っていて、ああおれは、歯医者に来たのだ、と実感した。

15年ぶりでも歯医者のニオイは変わらないし、どこも同じなのだ。

歯医者ではスリッパを履く。ほかの病院とは異なる特徴のひとつだ。

ひんやりと冷たくて、するすると滑るようで、薄くて、心許ない。歩きにくい。逃げるのに適さない構造をしている。

待合室には陰鬱な顔をした人々が俯いて座っていて、これから起こる嫌な予感に思いを馳せているみたいだった。みんな逃げられないようにスリッパを履いて、モゾモゾと身じろぎしていた。

壁はあくまで白く、照明は奥歯に潜む虫歯のリスクを取り逃がすまいと言わんばかりの輝度を放つ。

私はこの敵意を剥き出すかのような、戦いの意思を前面に出したかのような、一種思想的な歯医者のこの白さが、苦手だ。

この待合室にずっといたら自分の影を失ってしまうのではないかと怖くなる。私の人生において何か重大な間違いを犯しているのではないかと不安になる。その過ちがもう取り返しようもないところまできていて、自分諸共、罪を浄化しないとこの世界に存在できないのではないかと、半ば赦しを乞うような気持ちになる。罪はきっと虫歯や歯周病という形で罰になって、顕れる。

 

待合室には奥歯の形をしたハローキティのぬいぐるみや、歯ブラシをかたどったクマのぬいぐるみなどがあってどうにか患者を飽きさせない工夫が随所に見られた。絵本、模型などもある。いかにも楽しげだ。

歯が崩れていくリスクに関する啓発のポスターや、専門的な歯ブラシなども展示されていて、暇をさせないその工夫には枚挙に暇がない。

かかっているBGMもオルゴール調のJPOPで心に安らぎを与えようとしてくれる。

院長の、どうにかして、という思いを感じられる。

どうにか歯医者を嫌いにならないでくださいね。

そんな院長の気持ちが随所から感じられる。

そう思うと、壁の白さも院長の思いかもしれない。

綺麗な歯になりましょうね。

たしかに、壁が黄ばんでいたり、ところどころ壁紙が破れて基礎が剥き出しになっていたり、茶色いシミが付いていたら不吉である。

押し付けがましいのではなく、これは院長の祈りなのだ。

 

私が今回やって来たのは、矯正歯科だ。

歯の矯正をしようと突然、思い立った。

それについては所感や経過など後日あらためて書くとしよう。

刀の美しさ

先日博物館に行った際に日本刀の展示があり、まじまじと見てみて、その美しさにゾッとした。

外国人も多く、皆がしげしげと見つめてその妖しい輝きに唸っていたり、考察を述べている人もいたりした。

また、刀剣女子と言うんですかね、そういう人たちもいて、惚れ惚れと見つめておりそれもまたよろしかった。

 

たしかに美しいのだけれども、でも日本刀って、どこまでいっても殺人道具なんだなと思った。

マグロを捌いたり稲を刈ったり穴を掘るための道具じゃない。ましてや背中をかいたり家具の裏側のホコリを取るための道具でもない。

効率的に敵を殺害するために設計された、武器だ。

ヒヤリと光る刀身は美しいけれども、その美しさが「どうすれば素早く敵の喉元を掻っ切れるか」を突き詰めた先にあるものだと思うとゾッとする。

誰かを切ったかもしれない武器を、こうして展示して惚れ惚れしているのは異様にさえ思う。この武器の先にある血潮にみんなが他人事だ。

その生々しさを想わせないくらい、日本刀は美しい。

切先の鋭さ、流れるような刃紋、光を吸い込むかのような鉄の滑らかさ……ただそこにあるだけで空気をも切り裂きそうな殺意がこもっていて、これを鍛錬を積んだ武士が構えていたら、私は即座にひれ伏すだろう。

そう、この美しさには殺意が込められている。

 

話は少し逸れるけど、銃も人を殺すために生まれ、人を殺すために発達した武器だ。

こうした純粋な人殺しの道具を所持しておいて、発砲事件が起こったら「使う人間が悪い」として銃を規制しないのはおかしいと思う。

道具を持っている時点でそれはもう、使われるためにあると言っていいのに。

日本刀や銃があるだけで、これを使って誰かを殺すという選択肢が問答無用で生まれてしまう。

でも銃が殺人道具である以前に、モノとして格好良いというのもわかる。

 

文化ってある。銃も日本刀も、それが工芸品としての価値を持つ文化。

それはまったく良いことだと思うし、私だって日本刀を見て惚れ惚れしたものだけれど、この工芸品の先には「人殺し」があるのだということを忘れてしまうのは無責任というか、ちょっと感性が鈍感なんじゃないか。

戦争とか災害とかも、過ぎてしまえばコンテンツ化される。別にそれでもいいと思うし、私も人がバンバン死ぬ戦争映画は好きだ。

でもその先にあったもののことは、それはそれとして胸に留めておかないと、コンテンツを享受する資格はないのではないかと思う。

 

ハグリッドになりたい

今になって「ハリー・ポッター」シリーズを読み始めた。

『アズカバンの囚人』まで読んで、これ以上の傑作は出てこないだろうな、と思っていたら『炎のゴブレット』もおもしろすぎる。なんだこの小説。

ひとつ確信していることがある。

このシリーズ小説、きっと世界中で大ヒットになりますよ。間違いない。

映画化してもいいだろうな。あーでも、映像化難しいかもな〜。ふくろう便なんてどうすればいいいんだろう。

 

冗談はさておき、映画よりも小説のほうが人物描写が細かくて、よりキャラクターに愛着が持てるな〜と思っている。

ハリーもロンも子どもらしいし、ハーマオニーは生意気だ。

また、スネイプやマルフォイはより憎たらしくて、ダドリーは愚かだ。それぞれの役割を全うするかのように、露悪的ですらある。

キャラクターが全体的に感情豊かで、映画よりもむしろ小説のほうが、キャラクターがすぐ隣にいるかのような親密感を持てる。親近感ではなく、親密感だ。

ああ、私はこの魔法の世界に行けないのだ、とすこし残念に思う。でも魔法の世界は苛烈で危険だし、きっとはてなブログも無いだろうから退屈だろう。

 

ところで、とくに気に入っているキャラクターはハグリッドだ。

ハグリッド単体というか、ハグリッドとハリー・ロン・ハーマイオニーの関係性が好きなのだ。

ハグリッドは大人なんだけど無邪気で、頼りになるけどみんなと同じくらい頼りなく、だけど誰よりも信頼できて、温かい。

三人はハグリッドと友だちだ。

ハグリッドは三人を子どもとしながらも、子どもだからって権利を侵害するようなことはせずに、愛情と敬意をもって対等に接している。三人もハグリッドにそのように接している。

休みの日にハグリッドの家に遊びに行って、学校で起こったことやハグリッドの話を暖炉を囲んで話す。犬のファングもいる。テーブルの上には干した肉やイタチが吊るされている。温かい紅茶を飲む。お手製のシチューには巨大な鉤爪が入っていて、それをハーマイオニーが発見してしまったがために三人は食欲を失う。ハグリッドが「ちょっと待っちょれ」とか言ってよくわからない魔法生物を見せてくれる。

なんかさ、こういう、大人の友だち、欲しかったよね。

魔法の世界に行きたいというよりも、ハグリッドみたいな友だちがほしい。

 

今の自分はどちらかというとハグリッド側だ。ハリーたちみたいに子どもの立場ではない。

だからもしも知らない子どもと何か共同体の中で関係性を持つことがあったら、ハグリッドがそうするように、私も子どもたちと対等な関係を築き、よき仲間でありたいと思う。

 

鯛、それは平凡の祝福

近所のスーパーで天然の真鯛が370円で売られていて、鮮魚コーナーの営業に「それはね、もう今、今ですよ、今買わないとね!フフフ」と営業トークされ、まんまと買ってしまった。

「一尾でいいのかい…?」と営業に推されたが、一尾にした。二尾も食えるか。

「アクアパッツァでもいいし、塩焼きでもね、フフフ」

と言いながらアクアパッツァの素?みたいなものも買わされそうになったが耳を貸さず、私にはプランがあったので鯛を握りしめて急ぎ帰宅した。

鯛めしを作る。

 

以前にも鯛めしを作ったことがある。ずいぶん久しぶりである。

鯛めしと言うとそれはちょっとお祝いの飯と思われがちだが、作るのは案外簡単だ。

 

・米は水につけて置いておく

・鯛を3枚におろす

・塩を振って水分を飛ばす

・身、アラを焼き目がつくまで炙る

・身、アラ、醤油、酒、米を炊飯器に入れて炊く

 

これだけだ。スーパーで3枚おろししてもらえば手間はグッと減るだろう。もちろん包丁に自信があるなら自分で捌くといい。

本来はアラを炙ったあとに鯛と昆布で出汁をとり、その出汁でもって米を炊くのが正当なのだが、そんな悠長なことをしていられないのが令和の生き方。アラごと炊飯器にぶち込めばよろしい。

また、薄口醤油を使ったレシピがほとんどだが、濃口醤油を使っても問題ない。出来上がりの色合いがちょっと濃くなるかどうか、それだけだ。薄口醤油というものを使ったことがないのでわからないので、私はそうしている。

お頭と、捌くのに失敗してぐちゃぐちゃになった得体の知れない部位は、炙ったのちに小鍋で出汁を抽出し、あら汁としていただく。このとき、ネギの青い部分と生姜を入れると臭みが取れるうえ、味がグッとよくなる。

 

ここまで書いて、いや、ふつうに面倒臭いな、と思った。

実際やってみたらわりと大変というか、平日にはできないな、って感じの手間だ。

捌くのは慣れていないと難しいし、骨を抜くのも手間だし、あらゆるゴミが散乱するし、洗い物も加速度的に増えていく。

でも後悔はしない。

いろいろとグチグチ書いているけれど、基本的にはレシピに従えば失敗しない。道を外れる場合は自己責任で。

 

そんなこんなでいろいろやって、膨大な洗い物を済ませ、YouTubeで馬の蹄を削ぐ動画でも見ているとあっという間に炊き上がる。

これをあら汁とともにいただく。

美味い。

鯛の旨みが米に染み込み、ほぐれた身と食べると口の奥でぎゅっと鯛を感じる。鯛の味わいは胸の中でじんわりと幸せを教えてくれる、魚の中でもっとも祝福感のある味だ。

手間だったけど作ってよかった。やはり後悔しないのだ、鯛めしは。

恐れ慄くほど難しくもないし、手順を踏めばそう失敗はしない。

特別でもなんでもない日に食べると、その日は特別になる。平凡の祝福、それが鯛めし。

殺人者、食パンを買う

近所のイオンスーパーのセルフレジにカメラが付いていることに気付いた。それで買い物客を監視し、ズルしないか見張っているのである。

モニターで自分の顔も見えるようになっている。ちゃんと監視してますからね!という意思表示だ。はは〜ん。悪者は、悪いことをする自分の姿こそ見たくないと思うだろうから、その心理を突いた奇策というわけか。なるほどね。

結構なことだなぁと思いながら食パンを買った。ふとモニターを見て、ほんとうにびっくりして、言葉を失った。

なんとそこには、殺人者が映っていたのだ。

いや、殺人者じゃない。

私だ。

私の人相があまりにも悪いのだ。

食パンを買っているというよりも、今そこで妊婦のはらわたを裂いて赤子を打ち棄ててきましたとでも言わんばかり。

手元が見えないので、バーコード・リーダに商品をかざしているというよりか手についた血糊を洗っているみたいだ。

現実には、私はまったく平べったいニュートラルな気持ちで10%引きの超熟5枚切りを買っているだけだ。感情なんて何もない。ネガもポジもない。感謝も苦痛もない。食パンを買っているだけである。

それなのにこんな、世界を憎悪して内なる孤独に灼かれているみたいな顔してる。

これは問題だ。

怖すぎ。顔として。

ほんとうに苛立っているときはどんな人相してるんだろう?

街中ならまだしも、会社でもこんな感じなのだろうか?

だとしたら大変なことだ。私はこの顔のせいでいくつかの仕事のチャンスを失っているのかもしれないし、職場の雰囲気を悪くして心理的安全性を低めているのかもしれない。

だいたいこんな人相になった原因はおそらく心理のほうにあるのだろうから、もう心がダメになってるってことだろうか?たしかにこの世界を憎悪して止まないけど、まさかこんな……!

 

私はそこで、しかし、偉かった。

すぐに表情を変えた。

口角を引き上げ、目を開き、背筋を伸ばして、腕を振って歩いた。

ダメなら変えよう。今すぐに。

私はやればできるのである。

ニコニコして、そうするだけでなんだか気分も晴れやかになってくるというものだ。

カバンに入らなかった食パン5枚切りの袋を生首持つみたいに抱えていたのも愉快だった。大手を振って歩く。敵の生首をとったぞと言わんばかりに。

気持ちのせいで顔がクソになってるなら、表情を変えることで心模様を変えることができる。私は愉快だった。

 

夜道、どこかで金木犀の香りがした。

 

さよならドーナツホール

かねてより念願だったミスタードーナツの食べ放題に行くことになった。

妻と何度もミスドの食べ放題に行こうと話していたのだが、行こうとするたびに「今日じゃなくてもいいじゃないか」と思える障害につきあたりなかなかタイミングが合わなくて、行けない日が1年近く続いた。

ある日には雨が降ったし、ある日には生理が重く、またある日には胃がもたれていたし、ある日にはつまらない喧嘩をした。

そのような日々を乗り越え、ついにその日はやってきた。

 

「もしも食べ放題やっていなかったらどうしよう?」妻が朝、おはようの前にそう言って私の寝室に入ってきた。「もしも予約が必要で、行ったはいいものの待ちぼうけをくらったら?惨めな思いをしたら……」

妻が挙げ出すあらゆる「可能性」にひとつひとつ推論を述べてもしょうがないので、私はすぐに起きて、ミスドに電話をした。

「そちらの店舗で食べ放題……ドーナツビュッフェをやっていると伺ったのですが」

「ええ、やっています、やっています、とくにご予約は必要ありませんので、いつでもいらしてください」

話の早い店員だ。

「ただしですね、一度に2組しかご案内できないので、もしも先に2組いらっしゃったら、どちらかが終了するまでお待ちいただく、ということになりますので注意ください」

それはまぁまぁ恐ろしい話だ。「いつの時間帯が混んでるとかありますか?」

「そうですねぇ、土日の午後、ドーナツを食べたくなる15時ごろとか、ええ、夕方にかけては混みますねぇ、やはりねぇ」

「そうですか、今すぐ行きます。ありがとうございました」

「お待ちしています」

妻にはすぐに行くことを伝える。私はぼんやりとした頭で着替えを済ませ、顔を洗った。

 

顔を洗ってもずっと頭がぼんやりする。

体調が悪い。

体力は全盛期の40%…いや、35%くらいといったところか。

でも妻はもう行くということで体調を万全に備えていたし、ここまで引っ張って今日も行けないというのは私としても嫌だ。

一応熱を測ったら平熱だったし、どんよりと体調がすぐれないだけで鼻水が出たりひどい咳が出ているわけではないから、まぁ気のせいだろうということにして、ミスドに繰り出す。

店は空いていて、待つ必要もなくレジへ進み、ルール説明を聞いて、食べ放題が始まる。

ここまでの1年が嘘だったみたいに、体調不良が無いことのように、すんなりと食べ放題が始まった。

 

ミスドの食べ放題レポブログはいくらでも出てくる。

情報を総括すると、

・制限時間はきっかり1時間

・基本的には7個以上は食べないと元が取れない

・飲み物は元を取りやすい

・6個目から急に「くる」

・残した分は買い取り

ということが記述されている。

6個て笑

余裕すぎ。

6個くらいは飲むようにしてドーナツを胃袋に流し込めるだろうな。

そうタカを括っているが、それは全盛期であれば、だ。

この日はその35%……。

どうなることやら。

一抹の不安を抱きながらも、ドーナツの選別に入る。期間限定の甘ったるい重めのドーナツを最初に食べると、それだけでお腹いっぱいになる可能性があるので注意。また、生地がみっちりした重さのあるドーナツは避けるべきだろう。なるべくチョコレート主体のものも避ける。急激な糖質は急激な血糖値の上昇を招き、満腹感を生む。オールドファッション系の重量感のあるものも避ける。

と考えると、シュガー系のポンデリングやチュロス、シンプルな普通のもので責めるしかないのだが、私は実のところこうしたシンプルなものが好きなので残念でもなんでもない。むしろ私の畑である。迷わずにシンプル・ドーナツをトレイに乗せていく。

飲み物はコーヒーにした。甘いものにはコーヒーが一番だ。

 

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好きなだけ好きなドーナツを食べられる幸せ。

たまらない。たまらないのだが……。

やはり体調が悪く、正直、この3個を食べ終わるころには「もういいかな」と思ってしまっていた。

え?

自分でも驚いた…自然に「もういっかな」って言ってた。

心がもうね、満足しちゃってんの。

あとコーヒーにするんじゃなかった。私は体調が悪いときにコーヒーを飲むと余計悪化する傾向にあるため、コーヒーを飲むほど頭がフラフラした。カフェインにあてられたのだろう。

なんとか立ち上がり、気が進まないものの、またドーナツを選ぶ。店内が少しずつ混み始める。

次も似たようなものを注文したが、飲み物はジャスミンティーにした。口の中が甘々だったのでさっぱりしたもので洗い流したかったのだ。コーヒーはその苦味で味を隠せても、洗い流してはまではくれない。ジャスミンティーならそれが可能、という算段だ。

 

隣の席の人も食べ放題にチャレンジしていた。女性一人だったのだが、すごい速度でドーナツを摂取し、なんかすごい、この食べ放題を生業にしているのかと思えるほどの勢いであった。

選んでいるドーナツも重めの値段の高いものばかり。期間限定も外さず、もちろんしょっぱい系の惣菜パンもいただいている。確実に元をとっているし、このままこの店舗を出禁になってもおかしくなさそうなくらいだった。

デス・ドーナツ。

ドーナツを食い尽くす女。

見た目は中肉中背の普通のおばさんなのに、食べる勢いはなにかこう、戦っているような気迫があって異様だった。

「すごいね」妻が小声で言う。「プロなのかな?」

「たぶん、ね」

ミスドの食べ放題にプロがいるのだろうか?わからないが、道場破り的な気持ちで食べ放題に臨んでいるのかもしれないし、なんらかの訓練のための日課なのかもしれない。世の中にはすごい人がたくさんいるものだ。

隣にこんな人がいると、ドーナツを食べる気も失せるというものだ。

 

一方私は、5個目でふつうに限界を迎えた。

5個て笑

雑魚すぎ。

最後の6個目のイチゴのポンデリングは、リングを一粒一粒千切っては一粒をひたすらに咀嚼し、いつか口の中から消えるのを祈って待つだけになった。

飲み込めない。

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6個くらいは余裕だと思っていた。それなのに。私は自分の実力の低さに目を向けられていなかった。実力の低いものほど自らの能力を過信してしまう。

最後のポンデリングを食べるのに20分くらいかかった。こんなにおそろしく退屈な映画ははじめてだよ、と言われても仕方のないような、不毛なポンデリングだった。もちろん、ポンデリングは1ミリも悪くない。バカな客がバカなだけだ。

私は自分にとてもがっかりした。

 

妻は7個を平らげ、さすがに限界ということで、きっかり制限時間の1時間ほどだったのもあり、店を出た。

不思議なことに、立ってみると満腹ではなかった。

何がきついって、飽きがきつい。どれも同じ甘さだし、コーヒーで口の中がダルダルになったのもあって気分が悪かった。甘さが蓄積されて凶暴になる。これに関してももちろん、ミスドは悪くない。

ジャスミンティーはその洗浄作用を大いに発揮してくれたものの、ドーナツへの飽きまでは払拭できなかった。

 

ああ、なにもかも、年齢を重ねた自分のせいだ。全力で挑めなかった自分のせいだ。

年々、甘いものがだめになっていく。塩辛とか酒盗とか、そういうやつのほうが好きだ。

いろいろ言い訳はあるものの、私の記録6個は情けないにもほどがある。

雨が降ったなんて理由で先伸ばしているうちに、人生は取り返しがつかないことになる。本当にやりたいことがあるのなら、今すぐスマホを閉じて走り出そう。でないと、ポンデリングを一粒ずつちぎって咀嚼し続けるようなくだらない人生になってしまう。

もう一度行きたいかって?

いや、遠慮しとくよ。

これ以上自分にがっかりしたくないんだ。