Phlsさんのコメントより

5月24日付けエントリのコメント欄において、ワシ。のコメントに埋もれて見過ごされてしまうのは惜しいコメントがあるのでここで紹介しておきます。まずはPhlsさんのコメント。

(…)
一例を挙げますと、


http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070516/p2
「日本兵は放火はせんな・・・。強姦もせんなぁ・・。」(2007/05/17 20:50のコメント)


と主張なさいましたが、結局、証拠を示していないではありませんか(単に私が忘れているだけなのかもしれませんが。その場合、ワシ。氏が証拠を提示したエントリのURLとコメントした日付の指示してください)。

これに対するワシ。の返答。

>> Phls
>>http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070516/p2
「日本兵は放火はせんな・・・。強姦もせんなぁ・・。


↑:もうこの話は済んでるぞ〜!一生懸命説明しただろう???


放火・・・わが軍が占拠した建物を、みすみす放火する事は無い。
強姦・・・これは厳罰に処されるのでしない。松井司令官からも軍紀・風紀を厳粛にする旨、命令が出ている。
確かにその禁を破る者は居た。が、それらは日本軍によって厳しく処断されている。




お前らの悪い処はね・・・しない=0でなければダメだ!ゼロの根拠を示せ!1以上あればダメだ!って自分勝手に決め付けてる処だ。


ワシの言いたい事は、
日本軍は「放火・強姦を欲しいままに傍若無人に暴れ回った。」なんて事は無いって事だ。
これを言うと、お前らの答えは決まっておる。
『それは後付けです。最初の内容と違います。都合の良いように言い逃れをしてます。』・・・とな。
だからお前らは『揚げ足取り』『重箱の隅をつっつく』とワシは言うのだ。
話の内容が細かすぎて、そこで滞ってしまうんだ。

いやしかしこれは笑えるな。ばからしいので読み流していたけど読み直してみるとなかなか味があります。「厳罰に処されるのでしない」、だからなかった、と。強姦どころか殺人事件でもおかまいなしになった例が第十軍法務部陣中日誌にはいくらでも記載されてるんですが。ちなみに軍法会議で処罰された場合でも「強姦、略取、殺人」事件と「強姦、殺人」事件が懲役4年、「強姦、略取」事件で懲役2年、単純な強姦事件では懲役1年執行猶予2年といった判決です。これを「厳罰」と呼ぶなら昨今の日本における「厳罰化」の議論は一体なんなんだ? ってことになりますね。最も重い刑が科されたのは敵前逃亡軍用物毀棄で懲役6年、次が殺人事件で5年ですが、これは被害者が日本兵なんですね。判決理由を読むと、酔っぱらった兵隊にしつこくインネンを付けられて、ふと近くにあった歩兵銃で射殺してしまった、というものです。刑事事件ならば情状酌量の余地のある事件だと考えられるでしょうが、これが強姦殺人より重く罰せられるのが軍隊、ってことです。


後半も子どものいいわけですね。私を含む数人は単に「強姦事件が発生していた」ことではなく、「蔓延していた」ことを示す史料を提示したわけです。これに反論するための資料をただの一つも提示できていなくせに、こっちのせいにしているわけです。


余談が長くなりましたが、その次のPhlsさんのコメントが本題です。

ワシ。氏へ


>↑:もうこの話は済んでるぞ〜!一生懸命説明しただろう???


済んでいません。
順番が変わりますが、説明します。


>お前らの悪い処はね・・・しない=0でなければダメだ!ゼロの根拠を示せ!1以上あればダメだ!って自分勝手に決め付けてる処だ。


こんなことを言った記憶はありません。如何に軍紀が厳しくても犯罪行為が絶無であるとは思っていません。


ワシ。氏の誤謬は、強姦・放火といった犯罪行為の「存在問題」と「規模・頻度」等の「程度問題」を混同しているところです(或いは意図的に論点をずらしてるのかもしれませんが)。


実際に皆様方が提示した資料は、「日本軍の軍紀が弛緩していた証拠」「強姦が多発していた証拠」「犯罪行為が多発していた証拠」だった筈です。


証明のために、私の引用した「戦場に於ける特殊現象と其対策」から関連部分をもう一度引用しておきます。

で挟まれた部分に注目してください。


「兵站は気をきかせ中支にも早速に慰安所を開設した。(略)……それでも地方的には強姦の数は***相当に***あり、亦前線にも是を***多く***見る。(略)敵国婦女子の身体迄汚すとは、誠に文明人のなすべき行為とは考えられない。東洋の礼節の国を誇る国民として慙愧にたえぬ事である。……日本の軍人は何故に此の様に性欲の上に理性が保てないかと、私は大陸上陸と共に直ちに痛嘆し、戦場生活一ヵ年を通じて終始痛感した。然し、軍当局は敢て是を不思議とせず、更に此の方面に対する訓戒は耳にした事がない」

で挟んだ箇所からは、強姦が”多発”していたことが分かります。

処罰について言えば、ワシ。氏はその事例を述べていますので、留保しますが、”犯罪の多発”という点について言えば、ワシ。氏はそれを否定できていません。


ちなみに処罰についても言っておきます。
上記引用から更に関連部分を抜粋します。+++で挟まれたところに注意してください。


「更に此の方面に対する+++訓戒は耳にした事がない+++」


ここから強姦罪に対する処罰が為されていないことが分かります。これと関連することですが、


>強姦・・・これは厳罰に処されるのでしない。松井司令官からも軍紀・風紀を厳粛にする旨、命令が出ている。


強姦罪は1942年までは「親告罪」でしたよ。つまりそんな簡単に処罰されない、ということです。
以下証拠:***で挟まれた箇所に注意してください。


「私は当時の陸軍刑法において強姦に普通刑法***親告罪***であることも、また根本的に間違いであると考え、(略)それから二年を経過して昭和十七年漸く戦地強姦罪が制定されたのであった」


『岡村寧次大将資料』(上P282〜283)下記サイトから孫引き
http://www.geocities.jp/yu77799/okamura.html


最後に。私が書いた


「皆様方の提示した資料の信頼性を否認してもよい証拠の提示もしていない、と記憶していますが。」


という主張への反論はワシ。氏はしていないことだけ指摘しておきます。

Phlsさんが提示した資料は、私が第十軍法務部陣中日誌をもとに行なった主張を裏付けるものですが、この資料、金沢大学教授で陸軍軍医中尉として第二次上海事変に従軍した早尾乕雄氏が軍の軍医部や法務部に依嘱されて作成した報告書、「戦場に於ける特殊現象と其対策」のことです。ここで収録されているのは「各論」部分ですが、「総論」部分には揚子江岸で捕虜殺害を目撃したことが記されています。つまり、これは慰安婦制度についての資料であるだけでなく、南京事件を証拠だてる資料でもあるのです。早尾氏の筆になる文書としては『戦場神経症竝ニ犯罪ニ就テ』(「十五年戦争重要文献シリーズ(1)」、『軍医官の戦場報告意見集』、不二出版、所収)もよく言及されます。
また「戦場に於ける特殊現象と其対策」の前に収録されている『支那事変の経験より観たる軍紀振作対策』(PDFの40ページ以降)も、南京事件の状況証拠となるものです。