彫漆
彫漆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/14 23:50 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動彫漆(ちょうしつ)とは、器物の表面に漆を何層にも塗り重ね、その漆の層を刀で彫ってレリーフ状に文様を表す漆工技法の総称である[1][2][3]。
概説
唐代に始まるといわれるが、現存遺品から判断する限りでは、南宋時代から本格的に行われるようになり、元代、明代、清代に盛んに制作され、現代に至るまで制作されている中国を代表する漆工技法である[1]。様々な技法があり、その名称も中国名と日本名とで異なる。代表的なものでは、朱漆を用いたものを「剔紅」(日本では「堆朱」と呼ぶ)、黒漆を用いたものを「剔黒」(日本では「堆黒」と呼ぶ)と呼ぶほか、「剔黄」、「剔緑」、各色の漆の彩色を彫り表した彫彩漆などがある[1][3]。最古の遺品としては、イギリスの探検家スタインが新疆ウイグル自治区ミーランで発見した、「革製鎧小札」(大英博物館蔵)が有名である[1]。8世紀から9世紀頃の遺物と言われる小札には、黒・朱・黄色の彩漆塗り重ねて、勾玉文様や円文様、逆S字文様などを彫り表すが、彫り目は浅く、彫漆の原初的段階を示す[1]。宋代になると彫漆の特徴は、文様が細徴で、塗りは比較的薄く、彫りが鋭くなく丸みを帯びてくる[1]。元代になると、嘉興府西塘楊匯(浙江省)から張成や楊茂という名工が出て、椿尾長鳥文香盆(京都・興臨院蔵)に代表されるように、彫りが鋭く写実的な作風の漆器が作られた[1]。明初の永楽年間(1403年-1424年)には北京に官営工場の果園廠が設けられた[1]。明代後期の嘉靖年間から万暦年間(1522年-1620年)と清代の乾隆期(1736年-1795年)にも盛んに作られるようになったが、その様式は厚くやわらかい漆層に細徴な文様を彫り出す技巧的な傾向を強めていった[1]。
代表的な作品
- 『梔子堆朱盆』 伝統的な彫漆名工である張成が制作したとされる元代の作品である[2]。器体を円形に作り、全体に堆朱を施し、見込には一茎の梔子、外観面には、唐草文様の意匠を表す[2]。北京故宮博物院蔵。
- 『牡丹孔雀堆黒稜花盆』 ゆるやかに立ち上がりをつけた八弁の稜花盆で、雌雄の孔雀を上下に配し、その間隙を牡丹の花枝で埋め尽くしている>[3]。台北国立故宮博物院蔵。
出典
参考文献
- 編集代表;尾崎雄二郎・竺沙雅章・戸川芳郎『中国文化史大事典』(2013年)大修館書店(「彫漆」の項、執筆担当;日高薫)
- 東京国立博物館・朝日新聞社・NHK、NHKプロモーション編集『北京故宮博物院200選』(2012年)発行;朝日新聞社・NHK、NHKプロモーション
- 東京国立博物館・九州国立博物館・NHK・NHKプロモーション・読売新聞社・産経新聞社・フジテレビジョン・朝日新聞社・毎日新聞社編集『特別展 台北国立故宮博物院 神品至宝』(2014年)発行;NHK、NHKプロモーション、読売新聞社、産経新聞社、フジテレビジョン、朝日新聞社、毎日新聞社
関連項目
彫漆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/08 03:50 UTC 版)
彫漆とは器の表面に漆の層を何層も厚く塗り重ね、この漆の層を彫り出して、美しい模様を作り出す技法の総称である。発祥は中国で唐の時代からあったと言われる。単色を塗り重ねて濃淡を出す技法と、2色以上を塗り重ねて色彩豊かな模様を作り出す技法があるが、特に香川漆器では多色の重ね塗りにより大変色彩に富むものも作られてきた。厚く塗り重ねるために、時には漆を百回以上も塗りかさねることがあり、塗り重ねるためには下の層が乾くまで待たなければならないため、制作に大変時間がかかる。漆を塗り重ねるための長い時間と、わずか数ミリの漆の層から色を掘り出すための刀の一瞬の技法が組み合わさることによって立体感のある作品が生み出される難易度の高い技法である。
※この「彫漆」の解説は、「香川漆器」の解説の一部です。
「彫漆」を含む「香川漆器」の記事については、「香川漆器」の概要を参照ください。
「彫漆」の例文・使い方・用例・文例
彫漆と同じ種類の言葉
- >> 「彫漆」を含む用語の索引
- 彫漆のページへのリンク