PDP-11
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PDP-11 は、ディジタル・イクイップメント・コーポレーション(DEC)が1970年代から1980年代に販売した16ビットミニコンピュータシリーズ[1][2]。PDP-11 は DECのPDPシリーズのPDP-8コンピュータの主にリアルタイムシステムの後継であるが、両シリーズは10年間以上並存した。革新的機能をいくつか持ち、従来よりもプログラミングが容易になっていた。ミッドレンジのミニコンピュータとしての後継は32ビットのVAXである。
- ^ “What We Learned From the PDP-11”. microsoft.com. p. 139 (1975年). 2008年9月10日閲覧。
- ^ a b c “16-bit Timeline”. microsoft.com. 2008年9月閲覧。
- ^ Ceruzzi, Paul (2003), A History of Modern Computing, MIT Press, p. 238, ISBN 978-0-262-53203-7 2010年8月5日閲覧。
- ^ Conner, Doug. “Father of DOS Still Having Fun at Microsoft”. Micronews. 2010年8月5日閲覧。
- ^ a b Bakyo, John. "DEC PDP-11, benchmark for the first 16/32 bit generation. (1970)" in Great Microprocessors of the Past and Present (V 13.4.0), Section Three, Part I. Accessed 2011-03-04
- ^ "The Development of the C Language" in section More History, by Dennis M. Ritchie. Accessed August 5, 2011.
- ^ PDP-11は何台売れたのか
- ^ Dennis M. Ritchie (March 1993). “The Development of the C Language”. ACM SIGPLAN Notices 28 (3): 201–208. doi:10.1145/155360.155580 . "People often guess that they were created to use the auto-increment and auto-decrement address modes provided by the DEC PDP-11 on which C and Unix first became popular. This is historically impossible, since there was no PDP-11 when B was developed. The PDP-7, however, did have a few `auto-increment' memory cells, with the property that an indirect memory reference through them incremented the cell. This feature probably suggested such operators to Thompson; the generalization to make them both prefix and postfix was his own. Indeed, the auto-increment cells were not used directly in implementation of the operators, and a stronger motivation for the innovation was probably his observation that the translation of ++x was smaller than that of x=x+1."
- ^ Press Release re transfer of Operating Systems
- ^ PDP-11/70 CPU core and SoC :: Overview。2014年8月15日閲覧。
- ^ 英: Kevin Murrell
- ^ kpun.mac
- ^ 英: Farba Research
- ^ 英: en
- ^ 英: James O'Loughlin
- ^ 英: Bob Armstrong
- ^ Development Project Report
- ^ Bruce Mitchell, Brian S. McCarthy (2005年). “Multiprocessor FAQ”. Machine Intelligence. 2011年5月21日閲覧。[リンク切れ]
- ^ Binary Dinosaurs - Digital MINC-11
- ^ TPA-1140
- ^ TPA-1148
- ^ TPA-11/440
- ^ CalData_brochure
- ^ a b c http://www.village.org/pdp11/faq.pages/pdpOSes.html
- ^ Brinch Hansen, Per (1976), The Solo Operating System: A Concurrent Pascal Program 2011年6月22日閲覧。
- ^ Leveson, Nancy G., and Clark S. Turner. "An Investigation of the Therac-25 Accidents." Computer July 1993: 18-41.
- ^ Claremont, Bruce (2008年2月). “PDP-11 Replacement Keeps the Navy’s MSDD Spinning”. 2012年5月閲覧。
PDP-11
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「ディジタル・イクイップメント・コーポレーション」の記事における「PDP-11」の解説
詳細は「PDP-11」を参照 1968年、DECではそれまでの6ビットの文字ではなく8ビットのバイトに基づいたPDPマシンを開発していた。"PDP-X" と名付けられたこのプロジェクトが中止されたため、一部のチームメンバーが退職して1968年5月にデータゼネラルを創業。すぐさま16ビットのミニコンピュータNovaを発売した。このため、8ビットのバイトという業界の潮流にDECは一時乗り遅れることになった。 16ビットコンピュータPDP-11は、ハロルド・マクファーランド、ゴードン・ベル、ロジャー・キャディらが突貫計画で設計した。このプロジェクトはカーネギーメロン大学で16ビット設計を研究していたハロルド・マクファーランドが入ったことで進捗が加速された。経営陣に最初の提案を行った際あまり好印象ではなく、あやうくキャンセルされそうになったものの、より単純な設計がPDP-11となった。 特にその新設計はアドレッシングモードがあまり豊富ではなく、DECの他のマシンやCISC設計全般で広く採用されていた豊富なアドレッシングモードによってプログラムを小さくするという技法が使えないものだった。それはメモリアクセスにより時間がかかり、システムが低速になることを意味していた。しかし、同時に多数の汎用レジスタを備えるという考え方も採用していたため、プログラミングの自由度が向上し、性能問題はそれである程度カバーされるようになっていた。 PDP-11の主要な改良点として、メモリマップドI/Oによって全周辺機器をサポートするUnibusがある。それにより、通常はバックプレーンにハードウェアインタフェースを挿入し、メモリにマッピングされたインタフェースを読み書きするソフトウェアをインストールするだけで新規機器を容易に追加することが可能となった。そのためPDP-11には、サードパーティによる巨大な周辺機器市場が出現し、それがPDP-11自体をさらに便利なものにするという相乗効果が生じた。 そうした技術革新によってPDP-11アーキテクチャは他社を圧倒して業界のリーダーとなり、DECの復権に寄与した。さらにページング方式とメモリ保護機構が追加されることで、マルチタスクやタイムシェアリングも容易になっていった。一部機種では命令とデータの空間を分離して128kBの仮想アドレス空間を使えるようにし、物理メモリ容量も最大4MBまで拡張している。後に、PDP-11はLSI化されたCPUを採用して小型化し、後継のVAX-11が発売されるまで好調な販売を維持した。 PDP-11にはいくつかのオペレーティングシステムがあった。ベル研究所のUNIXオペレーティングシステムやDECのRSX-11、RT-11、RSTS/Eなどである。初期のPDP-11用アプリケーションは紙テープユーティリティを使って開発された。最初のディスクオペレーティングシステムとしてDOS-11が登場したが、間もなくもっと高機能なOSに取って代わられた。RSX-11は汎用マルチタスク環境であり、各種プログラミング言語が動作した。IASはタイムシェアリング機能を追加したRSX-11である。RSTSとUNIXはタイムシェアリングシステムで、教育機関が無料(または低価格)で使うことができ、PDP-11は当時の技術者や情報工学者が様々なことを試す道具となった。1970年代には通信や工場の制御などでも広く使われている。AT&TはDECの最大の顧客となった。 RT-11は小さいメモリ容量で動作する実用的なリアルタイムオペレーティングシステムであり、DECは組み込みシステム向けのコンピュータ供給業者としても事業を展開した。歴史的には、当時PDP-11で経験を積んだプログラマが多く、そういった意味でRT-11はマイクロコンピュータ用OSにも影響を与えている。例えばCP/Mのコマンド構文はRT-11のそれと似ており、データコピー用プログラム PIP も模倣している。また、DECはコマンド行オプション(スイッチ)に "/" を使っており、それがMS-DOSでパス名に "\" を使うことに繋がっている(UNIXでは '/' が使われる)。 競合他社はPDP-11風の様々なシステムを生み出した。COMECON諸国でもPDP-11のクローンが生み出され、多数生産された。
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