1951年度
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「帝都電鉄モハ100形電車」の記事における「1951年度」の解説
さらに状況が好転し始めたことから、1951年度予算での更新車は台枠を流用せず車体新製することに変更され、東急横浜製作所と日本車輌製造で以下のように18m級に延伸し窓幅を900mmに拡大した京急デハ300形と同様の、つまりデハ1710形の寸法を引き継ぐデハ1760形と同一仕様の車体を新造して載せ替える工事を実施した。 クハ1571 1951年12月 日本車輌製造 クハ1573 1951年12月 東急横浜製作所 クハ1574 1952年2月 日本車輌製造 クハ1575 1952年2月 日本車輌製造 クハ1577 1951年12月 日本車輌製造 クハ1579 1951年12月 日本車輌製造 クハ1583 1952年3月 日本車輌製造 これらも窓配置がd1D(1)3D(1)3D(1)1の、全室式運転台を吉祥寺寄りに設置する片運転台式制御車である。これらでは車体の仕上がりが格段に向上し、また前照灯が屋根に埋め込み式となるなど、外観面でも新車をアピールする要素が盛り込まれている。
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1951年度
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中学校独立校舎建設への機運が高まった。4月2日入学式。4月16日ミシン5台到着。4月21日遠足。7月10日2年生が大滝山登山。11月7日遠足。11月17日音楽会。生徒数508名、学級数11、職員数22名。
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