じょちゅう‐ぎく〔ヂヨチユウ‐〕【除虫菊】
シロバナムシヨケギク
除虫菊
除虫菊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 06:03 UTC 版)
かつては除虫菊(シロバナムシヨケギク)の一大産地で、旧因島市の市花であった。 外来種の除虫菊が日本に導入されたのが明治初期、この地方で栽培が始まったのは明治22年(1889年)頃上山英一郎によって向島でのことで、明治30年(1897年)頃から重井で栽培が始まった。村上勘兵衛らの尽力により大正になって普及が進み、第一次世界大戦によって輸入殺虫剤が途絶えると除虫菊の需要は高まった。これは太平洋戦争時にも同様であった。 大正9年(1920年)の記録では広島県の生産額は北海道に次いで二位を占めていた。因島での全盛期の作付面積は350ha 。ただ戦後になるとピレトリンが化学合成されるようになったため作付は激減し、因島においては昭和52年(1977年)時点で1haにまでになった。 現在のものは観光用に栽培されている。また1989年旧因島市が水軍と花をテーマに観光展開しだした際に因島フラワーセンターができ、園内には「村上勘兵衛翁詩碑」ができた。
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