越後騒動とは? わかりやすく解説

越後騒動

読み方:エチゴソウドウ(echigosoudou)

越後高田藩延宝7-天和元年起きた御家騒動


越後騒動

作者海音寺潮五郎

収載図書新装版 列藩騒動録 上
出版社講談社
刊行年月2007.5
シリーズ名講談社文庫


越後騒動

読み方:エチゴソウドウ(echigosoudou)

初演 宝暦6.7(京・染座)


越後騒動

読み方:エチゴソウドウ(echigosoudou)

初演 明治13.4(東京・市座)


越後騒動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/26 08:38 UTC 版)

越後騒動(えちごそうどう)は、江戸時代前期に越後国高田藩で起こったお家騒動[1]。一門重臣たちが争い、将軍徳川綱吉の親裁で厳しい処分が下され、高田藩は改易となった。




「越後騒動」の続きの解説一覧

越後騒動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 06:58 UTC 版)

荻田本繁」の記事における「越後騒動」の解説

越後騒動も参照 延宝2年1674年)、光長の嫡子綱賢が死去した。綱賢は無嗣であり、光長も他に男子がいなかったため急ぎ世嗣決めねばならなくなった美作重臣たちの評定により永見徳丸が光長の世嗣となった徳丸元服して4代将軍徳川家綱から偏諱賜り綱国と名乗った。そして綱国の守役として、美作派の安藤九郎右衛門付けられた。 世継ぎ選定は、光長と美作一派によって進められ、本繁ら他の重臣蚊帳の外置かれた。そのため、本繁や本多左衛門などが反発した美作は光長に、本繁を大老昇進させるよう進言し、懐柔図った。 しかし、美作独裁への反発は収まらず、本繁らは美作大六藩主養子として1万石を分知する計画であると吹聴し、その排除訴えた延宝7年1679年1月、反美作派は「お為方」を称し、およそ890名が光長の異母弟永見大蔵と本繁に誓紙提出した1月7日夜、お為方の530人あまりが美作邸の門外まで押しかけたが、美作堅く門を閉じて取り合わなかったため引き揚げた。本繁は美作謀反を光長に訴え出たが、逆にお為方の騒動鎮めるように命じられ、本繁らの仕掛けた政変失敗終わった事件江戸幕府の知るところとなると大老酒井忠清穏便に済ませようとした。同年10月越後親戚筋の松平近栄松平直矩(光長の従弟)が藩の相談役となり、美作騒動責任をとって家老辞職、そして重臣中立保っていた片山主水藩政を見るという裁定下した。 だが、お為方は収まらず、美作幕府裁定偽作したと主張した10月19日幕府お為方の主立った人物である大蔵、本繁、片山外記中根左衛門渡辺九十郎の5人を評定所呼び出したその結果お為方は家中誓紙取り徒党をなし、雑説流布し家中人心惑わした罪として5人は他家預かり、あるいは追放となった。本繁は松江藩主・松平綱近お預けとなった。本繁は、縁戚幕臣にもいるため軽い処分で済むと思っていたので、国許家老茂呂弥左衛門らへの書状に「驚くべき存じ候」と書き送っている。こうして本繁は、子の民部久米之助と共に松江流され妻と娘二人滝川利錦に、妹は神尾守勝(本繁の実弟)に預けられた。 しかし、本繁らの追放後も、高田藩騒動は収まらなかった。藩に残ったお為方は、処分美作酒井忠清賄賂贈った結果片手落ちだ主張した延宝8年1680年5月将軍家綱が死去し綱吉5代将軍となると、酒井忠清大老辞職し綱吉派の老中堀田正俊幕閣実力者となった。そこでお為方は正俊に再審運動し将軍の越後騒動親裁引き出すことに成功した天和元年1681年6月21日綱吉は「お為方」の永見大蔵荻田本繁、「逆意方」の小栗美作召し、みずから裁決行った綱吉は、まず美作横暴について大蔵と本繁に問い、ついで美作弁解させた。さらに大蔵と本繁を尋問して裁判終わったこの間僅かに30であった。翌6月22日評定所判決下された美作父子切腹となったが、大蔵と本繁は八丈島流罪となり、両派多数処罰された。さらに6月26日藩主光長は家中不行き届き理由改易され、高田藩そのもの取り潰されてしまった。

※この「越後騒動」の解説は、「荻田本繁」の解説の一部です。
「越後騒動」を含む「荻田本繁」の記事については、「荻田本繁」の概要を参照ください。

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