しょし‐ひゃっか〔‐ヒヤクカ〕【諸子百家】
諸子百家
諸子百家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 15:01 UTC 版)
詳細は「諸子百家」を参照 諸子百家は春秋戦国時代に栄えた哲学者・学派である。同時代に中国では大きな文化的・知的発展が起こった。同時代の後半は混乱と血みどろの戦闘を含むにもかかわらず、中国哲学の黄金時代としても知られる、というのはこの時期に広い範囲の思想・思考が自由に討論され、発展したからである。この時代に討論され洗練された思想・思考は東アジアの国々で今日に至るまで生活様式・社会意識に大きな影響を与えてきた。この時代の知識人の社会は旅をする学者の存在によって特徴づけられる。彼らはしばしば様々な国の為政者に参謀として召し抱えられ内政・戦争・外交に関して助言を授けた。この時代は秦王朝による中国統一とそれに続いて起こった焚書坑儒によって終わりを告げた。漢書には10の主な学派が列挙されている: 儒学、人間は特に自己修養・自己創造を含む個人的・社会的努力を通じて学び発展して完全になることができると教える。儒学の主な思想は徳の修養と道徳的な完成度の発展である。儒学は、基本的な道徳的価値である「仁」と「義」を維持するために受動的であるにしろ能動的であるにしろ必要ならば人は自らの命を捨てるべきであると考える。 法家、人の本性は利己的であって矯正できないと説く。それゆえ、社会秩序を維持する唯一の方法は人々の上に規律を課し、法律の厳格な施行を計ることである。このことを法家は何よりも上に置き、大衆の富の上での繁栄と軍事力増強を図った 道家、三宝、つまり、「慈」(同情心、憐み)、「儉」(節度、節制)、「不敢為天下先」(謙遜)を重要視する哲学。ただし道教徒は概して自然、人と宇宙の関係、健康と長寿、無為(活動しないことを通じた活動)に重点を置いていると考えられてきた。宇宙、つまりそれ自身から起こってくるもの(道)との調和は多くの道教徒の規則と実践の意図された結果である。 墨家、普遍的な愛という考えを唱道する。墨子は「天の前では皆平等である」、また、全ての人を分け隔てなく愛することで疑似的な天国を作ろうとするべきだと考えた。その認識論は原始的な唯物論的経験主義とみなされる。彼は人間の認識力は人間の抽象化にその要素に基づく想像力や直観的な論理の代わりにその知覚能力―視覚や聴覚のような感覚的経験―に基づくと考えた。墨子は倹約を推奨し、墨子が贅沢だと非難した音楽や儀式を重要視している点で儒家を非難した。 陰陽家、陰陽説と五行説を統合する。騶衍はこの学派の始祖だと考えられている。 農家、農民のユートピア的共産主義を唱道する。中国社会は古代の賢王神農の時代のそれに倣って作られるべきだと農家は考えた。神農は民俗的な英雄で中国文学の中で「皆とともに実地で働き、決定が届く限りの皆のことを考慮している」と描写される。 名家、定義と論理を重視する。古代ギリシアのソフィストや弁証家[要曖昧さ回避]と相似であるとされる。最も著名な名家は公孫竜である。 縦横家、倫理的な原理の代わりに実践的な事柄に重点を置き、そのため政治・外交的戦略、議論・ロビーイングの腕前を強調した。この学派の学者は有能な演説家・議論家・戦略家であった。 雑家、別の学派の教えを統合する。例えば、呂不韋は様々な学派の学者を見出して共同して『呂氏春秋』と呼ばれる著書をものした。様々な学派の美点をまとめ、各学派にみられる欠点に関してはこれを避けた。 小説家、思想において独特な点のない学派だが市井の人々が議論した、市井の人々に由来する全ての思想よりなる哲学である。 もう一つの学派は兵家であり、戦術と戦争哲学を研究した。孫子と孫臏が影響力の高い指導者である。しかしながら、この学派は漢書に定義された「十家」の一つではない。
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